抗コリン薬は副交感神経の伝達物質であるアセチルコリンがムスカリン受容体に結合するのを阻害する薬剤です。特に膀胱平滑筋に存在するムスカリンM3受容体を遮断することで、膀胱の過剰な収縮を抑制し、過活動膀胱による尿意切迫感や頻尿などの蓄尿症状を改善します。
膀胱にはムスカリンM2受容体とM3受容体が存在し、その比率は約3:1ですが、薬理学的には膀胱収縮に関与しているのはM3受容体であることが確認されています。正常な排尿では、アセチルコリンがM3受容体を刺激することで膀胱平滑筋が収縮し、尿を排出します。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj/126/5/126_5_341/_pdf
しかし前立腺肥大症の患者では、すでに前立腺の物理的な腫大により尿道が圧迫され、尿の通り道が狭くなっています。この状態で抗コリン薬を使用すると、膀胱平滑筋を弛緩させて排尿困難を助長し、場合によっては完全に尿が出なくなる尿閉を引き起こしてしまう恐れがあります。これが前立腺肥大症において抗コリン薬が禁忌とされてきた主な理由です。
参考)公益社団法人 福岡県薬剤師会 |質疑応答
前立腺肥大症で抗コリン薬が尿閉を引き起こすメカニズムは、機械的閉塞と機能的閉塞の二重の障害によるものです。前立腺肥大による機械的閉塞に加えて、抗コリン薬によるM3受容体遮断で排尿筋収縮が抑制されることで、膀胱内の尿を効果的に排出できなくなります。
参考)https://www.aichi.med.or.jp/webcms/wp-content/uploads/2023/06/71_1_p051_Special1-Hotta.pdf
薬剤投与による尿閉の病態は、膀胱収縮力の低下あるいは尿道抵抗の増大です。膀胱排尿筋にはムスカリン受容体が豊富に存在し、副交感神経刺激によりアセチルコリンが放出されて排尿筋が収縮します。抗コリン薬はこの収縮を抑制するため、特に前立腺肥大などの下部尿路閉塞性疾患がある患者では尿閉のリスクが高まります。
参考)https://asayaku.or.jp/apa/work/data/pb_1508-1509_3.pdf
メタアナリシスにおいては、前立腺肥大症を有する男性過活動膀胱患者におけるα遮断薬と抗コリン薬の併用療法はα遮断薬単独療法と比較して尿閉の発生リスクが高いことが報告されています。また抗コリン薬による尿閉は、非高齢者と比較して高齢者において発生リスクが高いことも知られています。
実際の症例では、前立腺肥大症による下部尿路閉塞と糖尿病性末梢神経障害による排尿筋低活動が原因の排尿障害を有していた患者が、総合感冒薬に含まれる抗コリン作用を持つ成分により尿閉を発症した報告もあります。このような患者では膀胱知覚の低下を伴うことが多く、尿意や自覚症状が乏しいために重症化しやすく、溢流性尿失禁や尿閉になることが少なくありません。
抗コリン薬に共通してみられる副作用には、便秘、口渇、排尿困難、眼圧上昇、認知機能障害、せん妄などがあります。これらの副作用は、ムスカリンM3受容体が唾液分泌、消化管平滑筋の収縮、虹彩の弛緩にも関与していることから生じます。
参考)「基礎薬学」から振り返る抗コリン作用を有するクスリのリスク …
具体的には、M3受容体拮抗作用に基づく唾液分泌の抑制による口渇、消化管平滑筋の弛緩による便秘、虹彩の弛緩による羞明などが知られています。臨床試験では口渇が約9.4%、便秘が4.4%、眼の障害が1.7%、心悸亢進が1.4%の頻度で報告されています。
参考)排尿障害の新しい薬剤治療と電気・磁気治療法
前立腺肥大症の患者では、これらの副作用に加えて排尿障害の悪化が最も重要な懸念事項となります。市販薬の風邪薬や総合感冒薬、鎮痛薬、抗アレルギー薬などにも抗コリン作用を有する成分が含まれていることが多く、患者の自己判断による服用で重篤な排尿障害を引き起こす可能性があります。
参考)前立腺肥大症の禁忌薬と注意すべき薬剤
高齢者で男性の場合は、前立腺肥大を患っている可能性があるため、接客時には泌尿器系の疾患の有無を確認することが重要です。抗コリン成分によりアレルギー症状を起こしたことがある人、他の胃腸鎮痛鎮痙薬やロートエキスを含有する胃腸薬、乗物酔い薬を服用している方も服用してはいけません。
| 抗コリン薬の主な副作用 | 頻度 |
|---|---|
| 口渇 |
約9.4% |
| 便秘 | 約4.4% |
| 眼の障害 | 約1.7% |
| 心悸亢進 | 約1.4% |
前立腺肥大症では機序は未解明ですが、切迫性尿失禁や頻尿等の過活動膀胱症状を合併することが多く、50~70%に合併すると報告されています。過活動膀胱治療の第一選択薬は抗コリン薬ですが、前立腺肥大症の場合は従来禁忌とされてきました。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi/126/Special_Issue/126_Special_Issue_199/_pdf
しかし近年、過活動膀胱合併の前立腺肥大症に対するα1遮断薬と抗コリン薬併用療法の大規模無作為化比較試験等でその有効性が証明されており、抗コリン薬は残尿を確認しながら十分に注意して少量から慎重に投与すれば安全に使用できることが示されています。
参考)前立腺肥大症に合併した過活動膀胱患者へのαhref="https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1413101802;jsessionid=3A8692E6BE114DC4153E3FED4DD1D2A3" target="_blank">https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1413101802;jsessionid=3A8692E6BE114DC4153E3FED4DD1D2A3lt;subhref="https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1413101802;jsessionid=3A8692E6BE114DC4153E3FED4DD1D2A3" target="_blank">https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1413101802;jsessionid=3A8692E6BE114DC4153E3FED4DD1D2A3gt;1href="https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1413101802;jsessionid=3A8692E6BE114DC4153E3FED4DD1D2A3" target="_blank">https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.11477/mf.1413101802;jsessionid=3A8692E6BE114DC4153E3FED4DD1D2A3lt;/s…
併用療法には初めから併用する方法と、α1遮断薬で初期治療を行い無効例に対して投与時間差を設けて抗コリン薬を併用する方法があります。実際の臨床研究では、前立腺肥大症により排尿症状と蓄尿症状を併せ持つ34症例を対象に、α1遮断薬を投与後に抗コリン薬を併用した症例とα1遮断薬のみ投与した症例との2群で治療効果を比較した結果、国際前立腺症状スコアと過活動膀胱症状スコアからα1遮断薬と抗コリン薬の併用により排尿症状と蓄尿症状のすみやかな改善が認められ、安全性にも問題がなかったと報告されています。
過活動膀胱診療ガイドラインにおいては、前立腺肥大のある男性過活動膀胱患者ではα遮断薬の単独投与から治療を開始し、過活動膀胱症状が残存する場合にのみ抗コリン薬を少量から併用すること、および定期的な残尿量の測定が推奨されています。
尿閉のリスクを低減するために、前立腺肥大症の方には前述のα1遮断薬やPDE5阻害薬との併用が必須となりますが、副作用により排尿障害が悪化し尿閉のリスクもあるため、まずはβ3受容体刺激薬を使用し、それでも頻尿改善効果が乏しい方には抗コリン薬に変えて効果を確認します。
参考)過活動膀胱
抗コリン薬を前立腺肥大症患者に使用する際には、残尿量の定期的な測定が極めて重要です。残尿測定検査は排尿をした後に超音波検査で残尿量を測定するもので、残尿が50ml以下の場合を正常と考えます。
参考)前立腺肥大症
残尿が50ml以上ある場合、膀胱からの尿排出能の低下を疑いますが、日常の診察では100ml以下であればOKと考えることが多いです。残尿があることは患者自身では気が付かないことが多く、この検査で調べて初めてわかることが多いという特徴があります。
参考)港区浜松町で前立腺肥大症なら佐々木クリニック泌尿器科 芝大門
患者が感じている残尿感はあまりあてにならないことがあり、残っていると思っていてもないこともあれば、逆に症状がない患者でも残尿を測定すると意外に多いこともあります。残尿が多いとばい菌の住み家になり膀胱炎や前立腺炎などの尿路感染症を起こしやすくなります。
また常に膀胱のタンクに尿が溜まっている状態のためすぐに膀胱が一杯になり頻尿を引き起こし、残尿が多いと膀胱内圧が常に高い状態になるため、膀胱内にある感覚神経が徐々に破壊され、過活動膀胱や神経因性膀胱(膀胱が収縮しなくなる)などの原因になることがわかっています。
| 残尿量の評価基準 | 分類 |
|---|---|
| 50ml未満 | 正常 |
| 50-100ml | やや多い |
| 100ml以上 | 多い |
抗コリン薬と抗ヒスタミン薬などの抗コリン作用を持つ他の薬剤との併用にも注意が必要です。ヒスタミン受容体拮抗薬や三環系抗うつ薬など、本来の目的ではない作用として抗コリン作用を有する薬剤にも注意が必要であり、薬剤単独の抗コリン作用だけでなく、服用薬剤の総抗コリン負荷を評価することが重要です。
医療従事者は前立腺肥大症の診断がある患者に対して、抗コリン作用を有する薬剤の処方を避けるか、やむを得ず使用する場合は十分な注意深い観察が必要です。50歳以上の男性では常に前立腺肥大症などの下部尿路疾患の有無をチェックしながら投与しなければなりません。
参考)https://www.pmda.go.jp/files/000240111.pdf
参考資料:日本泌尿器科学会の男性下部尿路症状・前立腺肥大症診療ガイドラインでは、過活動膀胱治療における抗コリン薬使用について詳細な推奨事項が記載されています。
男性下部尿路症状・前立腺肥大症診療ガイドライン
昭和大学病院では抗コリン作用薬禁忌疾患として前立腺肥大、認知症、重症筋無力症に対する使用リスクを回避するための資料を公開しています。