溢流性尿失禁の症状と治療方法
溢流性尿失禁の基本情報
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定義
膀胱内に過度に尿が溜まり、少しずつあふれ出る状態
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治療アプローチ
原因疾患の治療、薬物療法、カテーテル管理
溢流性尿失禁のメカニズムと特徴的な症状
溢流性尿失禁(いつりゅうせいにょうしっきん)は、名称の通り「あふれて流れる」状態を指します。この病態では、膀胱に尿が過剰に蓄積され、膀胱内圧が尿道抵抗を上回った時に少しずつ尿が漏れ出します。一般的な尿失禁と異なり、排尿障害が前提となる病態であり、特に男性に多く見られます。
溢流性尿失禁の特徴的な症状としては、以下のような兆候が挙げられます。
- 排尿時間の延長(通常より長い時間がかかる)
- 強い残尿感(排尿後も膀胱内に尿が残っている感覚)
- 頻尿(トイレに行く回数の増加)
- 夜間尿漏れ(就寝中の尿失禁)
- 少量ずつの持続的な尿漏れ(気づきにくい場合も)
- 下腹部膨満感(触診で緊満した膀胱を触知できる)
この病態の特徴として、患者さん自身が尿漏れに気づきにくいケースが多いことが挙げられます。少量ずつ継続的に漏れるため、「常に湿っている」という状態になりますが、一度に大量の尿が漏れるわけではないため、尿失禁として認識されないことがあります。
溢流性尿失禁では、膀胱の過伸展により膀胱壁の血流が低下し、膀胱組織に虚血性変化が生じることがあります。これにより長期的には膀胱の収縮力がさらに低下するという悪循環に陥ることも特徴の一つです。
また、膀胱の知覚鈍麻が存在する場合には、膀胱の過伸展による痛みや不快感といった自覚症状に乏しいことがあり、その結果として慢性的な経過をたどることがあります。この状態が継続すると、最終的には上部尿路(腎臓)へも悪影響を及ぼし、水腎症などの合併症を引き起こす可能性があります。
溢流性尿失禁を引き起こす主な原因疾患
溢流性尿失禁は、膀胱内に尿を正常に排出できなくなることが根本的な原因です。この排尿障害は大きく分けて「尿路閉塞」と「排尿筋低活動」の二つのメカニズムにより引き起こされます。
【尿路閉塞を引き起こす主な疾患】
前立腺肥大症は50歳以上の男性で最も一般的な原因であり、加齢とともに発症率が上昇します。肥大した前立腺組織が尿道を圧迫し、尿の流れを妨げることで、膀胱内に尿が貯留し、結果として溢流性尿失禁に至ります。
【排尿筋低活動を引き起こす主な要因】
- 神経因性膀胱。
- 糖尿病性神経障害
- 脊髄損傷
- 多発性硬化症
- 脳血管疾患
- 子宮癌や直腸癌術後の末梢神経障害
- 薬剤性。
- 抗コリン薬
- 三環系抗うつ薬
- カルシウム拮抗薬
- α作動薬
- 麻薬性鎮痛薬
- その他。
- 加齢による排尿筋の収縮力低下
- 膀胱の過伸展による排尿筋の機能不全
特に糖尿病性神経障害による神経因性膀胱は、糖尿病の有病率の高さから臨床的に重要な原因の一つと考えられています。糖尿病患者の約30-40%が何らかの形で排尿障害を呈するとされており、長期にわたる高血糖状態が末梢神経障害を引き起こし、膀胱の知覚低下と排尿筋の収縮力低下を招くことで溢流性尿失禁に至ります。
また、近年の研究では、慢性的な膀胱の過伸展そのものが、膀胱平滑筋の構造変化と機能低下を引き起こすことも明らかになってきています。このため、原因疾患の早期発見と適切な治療が重要です。
日本排尿機能学会ガイドライン:詳細な神経因性膀胱の原因疾患と分類に関する情報
溢流性尿失禁の診断方法と残尿測定の重要性
溢流性尿失禁の診断においては、適切な病歴聴取と身体診察に加え、各種検査を組み合わせることで正確な診断が可能となります。以下に主要な診断方法と残尿測定の重要性について解説します。
【基本的な診断アプローチ】
- 詳細な問診。
- 排尿状況(頻度、量、勢い、中断感など)
- 残尿感の有無
- 夜間排尿の頻度
- 尿失禁のパターンと頻度
- 既往歴(前立腺疾患、糖尿病、手術歴など)
- 服用中の薬剤
- 身体診察。
- 下腹部の触診(膀胱の充満状態の評価)
- 前立腺触診(男性)
- 骨盤底筋の評価(女性)
- 排尿日誌。
- 排尿量、時間、尿失禁のエピソードを記録
- 患者の排尿パターンを客観的に評価する重要なツール
【残尿測定の重要性】
溢流性尿失禁の診断において最も重要な検査の一つが残尿量の測定です。残尿量は膀胱内に留まる尿量を示し、以下の方法で測定されます。
- 超音波検査による残尿測定。
- 非侵襲的で繰り返し測定可能
- ポータブル超音波機器を使用して外来でも容易に実施可能
- BVI(Bladder Volume Instrument)などの専用機器を用いる
- 導尿による残尿測定。
- 最も正確な測定方法
- 侵襲的であり感染リスクを伴う
- 複数回の測定には適さない
一般的に100ml以上の残尿があれば臨床的に有意と考えられますが、症状や年齢によって評価は変わります。特に200ml以上の残尿がある場合は溢流性尿失禁の可能性が高くなります。
【その他の重要な検査】
- 尿流測定(ウロフロメトリー)。
- 排尿量、最大尿流率、平均尿流率、排尿時間を評価
- 閉塞性パターン(低流量、延長した排尿時間)は尿路閉塞を示唆
- 平坦なパターンは排尿筋低活動を示唆
- 膀胱内圧測定。
- 溢流性尿失禁の原因が尿路閉塞か排尿筋低活動かを鑑別する上で重要
- 排尿筋収縮力と尿道抵抗の関係を評価
- 尿道造影・膀胱造影。
- 尿道狭窄や前立腺肥大による尿道圧迫の程度を評価
- 血液検査。
- 腎機能評価(BUN、Cre)
- 血糖値(糖尿病の評価)
- PSA(前立腺癌のスクリーニング)
適切な診断には、これらの検査結果を総合的に判断することが重要です。特に残尿測定は簡便かつ非侵襲的に実施できる検査であり、溢流性尿失禁のスクリーニングとして非常に有用です。定期的な残尿測定により、治療効果のモニタリングも可能となります。
日本排尿機能学会:尿流動態検査ガイドライン
溢流性尿失禁の治療法と薬物療法の選択
溢流性尿失禁の治療は、原因となる病態に応じて適切な方法を選択する必要があります。治療の基本的なアプローチは、「尿路閉塞の解除」と「排尿筋機能の改善」の二つに大別されます。
【尿路閉塞の治療】
- 急性期の対応。
- バルーンカテーテルの留置による膀胱減圧
- 過伸展膀胱の回復には通常2〜4週間の減圧期間が必要
- 前立腺肥大症による閉塞の治療。
- 薬物療法。
- α1遮断薬(タムスロシン、シロドシン、ナフトピジルなど)
- 5α還元酵素阻害薬(フィナステリド、デュタステリド)
- PDE5阻害薬(タダラフィル)
- 手術療法。
- 経尿道的前立腺切除術(TURP):標準的手術法
- ホルミウムレーザー前立腺核出術(HoLEP):大きな前立腺に有効
- 光選択的前立腺蒸散術(PVP):出血リスクの高い患者に有効
- 前立腺動脈塞栓術(PAE):侵襲性の低い新しい治療法
- 尿道狭窄の治療。
- 尿道ブジーによる拡張
- 内視鏡的尿道切開術
- 難治性の場合は尿道形成術
- 女性の膀胱瘤治療。
- ペッサリー留置
- 前膣壁形成術
- 尿道過可動性を伴う場合は膀胱頸部挙上術を併用
【排尿筋低活動の治療】
- 薬物療法。
- コリン作動薬。
- ベタネコール(ベサコリン®):副交感神経刺激により膀胱収縮を促進
- 消化器系副作用(腹痛、下痢など)に注意
- α遮断薬。
- 膀胱頸部と前立腺部尿道の抵抗を減少させる
- 起立性低血圧などの副作用に注意
- プロスタグランジンE2製剤。
- 直接的に平滑筋を収縮させる作用
- 限定的な使用
- カテーテル管理。
- 間欠的自己導尿(CIC)。
- 1日3〜6回の定期的な導尿
- 残尿が100ml以上の場合に検討
- 尿路感染症のリスク低減と上部尿路保護に有効
- 患者教育と適切な指導が