スペインかぜとは、1918年から1920年にかけて全世界に大流行したH1N1亜型インフルエンザウイルスによるパンデミックです。正式には「1918年インフルエンザパンデミック」と呼ばれますが、初期にスペインから感染拡大の情報がもたらされたため、この通称で知られています。
参考)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%81%9C
この感染症は人類史上最も深刻なパンデミックの一つとして記録されており、全世界で5億人が感染し、死亡者数は5,000万人から1億人以上と推定されています。これは当時の世界人口(18-19億人)の約27%から33%に相当する感染率で、死亡率の高さは第一次世界大戦による死者数を上回りました。
参考)https://museum.kumanichi.com/album_infection/spanish-flu/
スペインかぜという名称は大きな誤解を生んでいます。実際の発生地はスペインではなく、アメリカが有力とされています。1918年3月、アメリカ・カンザス州で最初のウイルス発生が確認されたと考えられており、その後アメリカの第一次世界大戦参戦に伴い、派遣された軍隊と共にヨーロッパに拡散しました。
参考)https://zatsuneta.com/archives/006741.html
なぜ「スペインかぜ」と呼ばれるようになったのか:
第一次世界大戦中、交戦国では軍事機密として感染情報が隠蔽されていました
唯一の中立国だったスペインだけが感染症被害を自由に報道できました
スペインからの報道により「スペインで発生したかぜ」という誤解が広まりました
この命名法は、新興感染症を外国や外国人と関連付ける傾向を示しており、意図せずとも恐怖や偏見を助長する効果があることが現代の研究で指摘されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6187801/
スペインかぜの病原体はH1N1亜型インフルエンザウイルスであることが、1995年の永久凍土に保存されていた犠牲者の肺組織からのウイルス遺伝子復元により証明されました。このウイルスは鳥インフルエンザウイルスが突然変異によってヒトに感染する形に変化したもので、当時の人々にとっては全く新しい感染症(新興感染症)でした。
ウイルスの特異的な病原性:
現在のインフルエンザウイルスより30倍速く増殖する能力を持っていました
感染した動物実験では、非常に強い免疫反応が起こり、肺でひどい炎症が観察されました
参考)https://www.ims.riken.jp/poster_virus/history/spanishflu/
壊死性気管支炎、出血を伴う重度肺胞炎、肺胞浮腫を引き起こしました
このような強い病原性は、ウイルス表面のヘマグルチニン(HA)タンパク質が原因であり、増殖を司る3つのDNAポリメラーゼによる急速な増殖が致命的な症状を引き起こしました。
近年の研究により、スペインかぜによる死亡の主な原因は二次性細菌性肺炎であったことが明らかになっています。これは当時の医療技術では対処が困難な合併症でした。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/102/9/102_2182/_pdf
死亡原因の詳細分析:
米国NIAID所長のFauciらの研究では、死亡の96%が細菌性肺炎によるものでした
参考)https://www.kansensho.or.jp/uploads/files/guidelines/090521soiv_teigen.pdf
肺炎球菌、インフルエンザ桿菌、ブドウ球菌が死亡例から集中的に同定されました
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsv/60/1/60_1_9/_pdf
約70%の死亡例で菌血症(血液中への細菌感染)を併発していました
この事実は、抗生物質が存在しなかった1918年当時の医療環境の限界を示しています。現代であれば、適切な抗菌薬治療により多くの命が救えた可能性があります。メキシコでの2009年新型インフルエンザでも、発症から受診までの期間が死亡率と相関しており、早期治療の重要性が再確認されました。
スペインかぜの最も特徴的な点は、通常のインフルエンザとは全く異なる年齢別死亡パターンを示したことです。一般的にインフルエンザは幼児と高齢者に高い致死率を示しますが、スペインかぜでは健康な成人層に最も高い死亡率を記録しました。
特異な「W字型」死亡パターン:
体力も免疫力も十分にある若い成人層で死亡者が集中しました
第一次世界大戦中の兵士たちを中心に犠牲者が多発しました
妊娠中の女性では特に高い死亡率が報告されています
この現象は「サイトカインストーム」と呼ばれる過剰な免疫反応が原因と考えられています。健康な成人ほど強い免疫応答を示すため、かえって重篤な症状に陥りやすかったのです。日本海軍の事例では、閉鎖空間である艦内で306人中65%が発症し、致死率16%という深刻な被害が記録されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11464390/
スペインかぜ流行時の日本の医学界の対応は、当時の医学的知識の限界と学派間の対立を如実に示しています。東北大学の最新研究(2024年12月)により、日本の医療業界誌『日本之医界』の分析から興味深い事実が明らかになりました。
参考)https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2024/12/press20241204-01-spanish.html
日本の医学界の初期対応の問題点:
感染爆発が起きた1918年秋まで、医学界はスペインかぜに十分な関心を示していませんでした
北里研究所は「インフルエンザ菌説」を提唱し、『日本之医界』がこれを支持しました
北里研究所と東京帝国大学・国立伝染病研究所の対立が科学的判断に影響しました
当時はまだウイルスが発見されておらず(1933年に初めて分離)、細菌が病原体と考えられていました。このため、予防注射と称される治療法が推奨されるなど、現在から見ると不適切な対策が取られていました。
日本での被害状況:
流行波 | 期間 | 患者数 | 死者数 | 罹患率 |
---|---|---|---|---|
第1波 | 1918年8月-1919年7月 | 約2,116万人 | 約25万人 | 約37% |
第2波 | 1919年9月-1920年7月 | 約241万人 | 約12万人 | - |
第3波 | 1920年8月-1921年7月 | 22万人 | 3,698人 | - |
日本全体では約45万人を超える死者が出たとされ、これは人類史上最も深刻なパンデミックの一つとして記録されています。
スペインかぜの研究は、現代の感染症対策と医療システムに重要な教訓を提供しています。特に2020年からのCOVID-19パンデミックとの比較研究により、100年間の医学進歩の意義が再確認されました。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10384375/
現代医療への重要な教訓:
2009年メキシコでの新型インフルエンザでは、発症から受診までの期間が死亡率に直結しました
ペニシリン導入後の第二次世界大戦後、肺炎死亡率が急激に低下しました
マスク着用、手洗い、隔離措置などの基本的対策の重要性が再確認されています
参考)https://www.pref.kyoto.jp/nantan/ho-kikaku/documents/202103syocyou.pdf
正確な情報公開の重要性と、偏見を助長しない命名法の必要性
現在のインフルエンザ対策では、迅速診断キット、抗ウイルス薬、ワクチンという三つの柱により、スペインかぜのような壊滅的被害は防げるようになっています。しかし、新興感染症に対する警戒と準備は常に必要であり、スペインかぜの教訓は現在でも生き続けています。
興味深いことに、現在のH1N1亜型インフルエンザウイルスはすべて、1918年のスペインかぜウイルスに由来することが遺伝子解析により判明しており、このウイルスは形を変えながら現在も人類と共存しています。
参考リンク(スペインかぜの詳細な病理学的研究について)。
Pathogenesis of the 1918 Pandemic Influenza Virus - PMC
参考リンク(日本でのスペインかぜ対応に関する最新研究)。
日本の医学界は「スペイン風邪」にどのように対応したか - 東北大学