肥厚性幽門狭窄症は、胃の出口である「幽門(ゆうもん)」と呼ばれる部分の筋肉が異常に肥厚することによって、胃内容物の十二指腸への通過が障害される疾患です。主に生後2週間から2ヶ月頃の乳児に発症し、出生1000人に対して1~2人の割合で見られます。男児に圧倒的に多く、男女比は約4:1から5:1とされています。また、第一子や双子を含む兄弟姉妹に本症がある場合、発症リスクが高まることが知られています。
本症の発症メカニズムについては、長年にわたり様々な仮説が提唱されてきました。胃の神経細胞の異常説や、一酸化窒素(NO)合成酵素の欠損説、消化管ホルモン「モチリン」と同様の作用を持つ抗生物質エリスロマイシンの投与との関連性など多岐にわたりますが、現時点では確定的な原因は特定されていません。遺伝的要因の関与も示唆されており、家族内発生は3~18%の頻度で認められています。
幽門筋の肥厚によって胃の出口が狭くなることで、母乳やミルクなどの内容物が十二指腸へと円滑に流れなくなり、様々な症状を引き起こします。正常な幽門筋の厚さは2~3mm程度ですが、本症では4mm以上に肥厚し、幽門管も14~17mm以上に延長することが特徴です。
肥厚性幽門狭窄症の最も特徴的な症状は、進行性の嘔吐です。初期には1日に1~2回程度の比較的軽度の吐き戻しから始まりますが、徐々に頻度と量が増加し、最終的には「噴水状嘔吐」と呼ばれる勢いの強い嘔吐を示すようになります。この嘔吐は通常、授乳後に発生し、ほぼ全量を吐き出すことが多いのが特徴です。
重要な点として、嘔吐物はほとんどの場合無胆汁性です。これは胆汁が十二指腸より下部で分泌されるため、幽門部の閉塞では胆汁が嘔吐物に混じることがないためです。ただし、約4%の症例では胆汁性嘔吐が見られることもあるため、胆汁性嘔吐があるからといって本症を除外する根拠にはなりません。
また、特徴的な臨床所見として以下のものが挙げられます。
特に「オリーブ様腫瘤」の触知は本症を強く示唆する所見ですが、熟練した医師でも触知できない場合もあります。また、長期間嘔吐が続くと、コーヒー残渣様嘔吐(胃粘膜からの少量出血により黒褐色を呈する)が見られることもあります。
症状が進行すると、頻回の嘔吐による脱水や電解質異常(特に代謝性アルカローシス)を呈するようになり、早急な医療介入が必要となります。
肥厚性幽門狭窄症の診断は、典型的な臨床症状と身体所見に加え、画像検査によって確定します。診断のプロセスは以下の通りです。
1. 問診と身体診察
2. 画像診断
現在の主要な診断法は超音波検査です。以下の所見が診断の決め手となります。
超音波検査のテクニックとして、肝臓を音響窓として利用する、赤ちゃんをやや右下向きの姿勢にして胃幽門部付近のガスを移動させるなどの工夫が有効です。熟練した検者による超音波検査では、高い精度で診断が可能です。
かつては上部消化管造影検査(バリウム検査)が主流でしたが、現在では超音波検査の普及により補助的な検査となっています。造影検査では以下の所見が見られます。
3. 血液生化学検査
脱水や電解質異常の評価のため、以下の項目をチェックします。
典型的な症状と超音波所見があれば診断は確定的ですが、非典型例や診断が難しい場合には上部消化管造影検査を追加することもあります。
肥厚性幽門狭窄症の治療は、まず全身状態の安定化を図った上で、外科的治療または内科的治療を行います。治療の流れは以下の通りです。
1. 初期管理
2. 外科的治療(第一選択)
現在の標準治療は「粘膜外幽門筋切開術(Ramstedt法)」です。肥厚した幽門筋を切開して狭窄部を広げる手術で、以下のアプローチ法があります。
手術の具体的手順は以下の通りです。
手術後は比較的早期(術後半日~1日程度)から経口摂取を開始でき、通常1週間以内に退院可能です。手術の成功率は非常に高く(95%以上)、合併症率は低いとされています。
3. 内科的治療(選択肢の一つ)
硫酸アトロピンによる内科的治療も選択肢の一つです。幽門筋を弛緩させる作用を期待して投与しますが、以下の理由から第二選択となることが多いです。
硫酸アトロピンによる内科的治療は、手術のリスクが高い場合や手術を避けたい強い希望がある場合などに検討されます。
最近の治療トレンドとしては、より低侵襲な手術アプローチ(臍部切開や腹腔鏡手術)の普及や、術後管理の最適化による入院期間の短縮などが挙げられます。また、超音波ガイド下での経皮的幽門筋切開術などの新たな治療法も一部で研究されています。
肥厚性幽門狭窄症は適切な治療が行われれば、長期予後は非常に良好です。外科的治療後の合併症はまれであり、再発もほとんど見られません。治療後の経過と予後について詳しく見ていきましょう。
術後早期の経過
手術直後から回復は比較的早く、多くの場合、術後6~8時間後から少量の経口摂取(通常は5%ブドウ糖水やORS)を開始します。その後、徐々に母乳やミルクの量を増やしていきます。初期には少量の嘔吐がみられることもありますが、通常は数日以内に改善します。多くの施設では術後5~7日程度で退院となります。
長期予後
長期フォローアップ研究によると、適切に治療された肥厚性幽門狭窄症患者の予後は非常に良好です。
ただし、長期フォローアップでは以下のような潜在的なリスクも報告されています。
これらのリスクは非常に低く、定期的な健診以外の特別なフォローアップは通常必要ありません。
予防策
残念ながら、現時点では肥厚性幽門狭窄症を予防する確立された方法はありません。しかし、いくつかのリスク因子が指摘されています。
家族歴がある場合には、新生児期から乳児期早期にかけて注意深く観察することが重要です。また、不必要なマクロライド系抗生物質の使用を避けることも考慮されます。
早期発見・早期治療が重要となるため、以下のような兆候が見られた場合には速やかに医療機関を受診することが推奨されます。
適切な診断と治療により、肥厚性幽門狭窄症の赤ちゃんは健康な成長を遂げることができます。
肥厚性幽門狭窄症の研究は近年も活発に行われており、病態解明から治療法の改善まで様々な分野で進展が見られています。ここでは、最新のエビデンスと研究動向について解説します。
病因・発症メカニズムに関する新知見
肥厚性幽門狭窄症の病因については、従来から様々な仮説が提唱されてきましたが、近年の分子生物学的研究によって新たな知見が蓄積されています。
診断技術の進歩
超音波診断技術の向上により、より精度の高い診断が可能になってきています。
治療法の進歩と比較研究
外科的治療における低侵襲化と内科的治療の再評価が進んでいます。
最新の多施設共同研究では、外科的治療と内科的治療の比較において、以下の知見が報告されています。
これらの研究は、肥厚性幽門狭窄症の治療アプローチが今後も進化し続けることを示唆しています。
周術期管理の最適化
術後管理についても新たなエビデンスが集積されています。
研究と臨床実践の進展により、肥厚性幽門狭窄症の診断・治療はより精密で患者にやさしいものへと進化しています。今後も、分子レベルでの病態解明と個別化医療の発展が期待されます。