髄液検査は神経疾患の診断において非常に重要な役割を果たします。正確な診断のためには、各検査項目の正常値を理解することが不可欠です。髄液の正常値と基準範囲は以下の通りです。
検査項目 | 正常値 |
---|---|
外観 | 無色透明 |
圧力 | 70~180 mmH₂O |
細胞数 | 5/mm³以下(全て単核球) |
蛋白質 | 15~45 mg/dl |
糖 | 50~80 mg/dl(髄液糖/血糖=0.6~0.8) |
クロール | 118~130 mEq/l |
IgG | 0.8~5.0 mg/dl |
IgG index | 0.7以下 |
髄液検査において注目すべき点は、髄液糖が血糖値の60~80%程度になることです。そのため、髄液検査時には同時に血糖値も測定することが重要です。また、IgG indexは(IgG髄液×アルブミン血清)/(IgG血液×アルブミン髄液)という式で計算され、これが0.7を超えると中枢神経系内でのIgG産生亢進を示唆します。
脳室穿刺と腰椎穿刺では得られる髄液の性状が若干異なり、腰椎穿刺で得られた髄液のほうが比重が大きく、タンパク量も多いという特徴があります。この違いは臨床的解釈において考慮する必要があります。
医療現場では、髄液検査の際に複数の試験管に分けて採取し、それぞれ細胞数測定、生化学検査、微生物学的検査などに使用します。これにより、一度の穿刺で多角的な情報を得ることができます。
髄液の肉眼的性状は、神経疾患の診断における重要な手がかりとなります。健常な髄液は「水様透明」ですが、疾患により様々な変化が生じます。
混濁の評価:
髄液の混濁は主に白血球増加によって引き起こされます。その程度によって疾患を推測できます。
色調の評価:
髄液の色調変化も重要な診断情報を提供します。
これらの性状変化を詳細に観察することで、疾患の種類や進行度を推測することができます。例えば、結核性髄膜炎ではフィブリンが析出して「くも膜様」の外観を呈することがあります。
キサントクロミー(黄色調)の判定は、髄液の入ったスピッツを白いガーゼなどに透かして見て、わずかな着色があれば陽性と判定します。外傷性髄液との鑑別には、髄液を遠心し上清が透明なら外傷性、黄色ならキサントクロミー陽性と判断できます。
髄液検査から得られる情報は、様々な神経疾患の診断に役立ちます。主要な疾患ごとの特徴的な髄液所見について解説します。
細菌性髄膜炎の髄液所見:
細菌性髄膜炎では、グラム染色で原因菌を同定できることが多く、迅速な治療方針決定に役立ちます。
ウイルス性髄膜炎の髄液所見:
ウイルス性髄膜炎の診断確定には、PCR検査でエンテロウイルスなどの原因ウイルスを同定することが有用です。
結核性髄膜炎の髄液所見:
結核性髄膜炎では特に髄液クロールの低下が特徴的で、診断的価値が高いとされています。また、診断確定は難しく、PCRの感度は約50%であり、培養には最大8週間かかるため、強く疑われる場合は確定診断を待たずに治療を開始することが推奨されています。
くも膜下出血の髄液所見:
これらの典型的な髄液所見を理解することで、臨床症状と合わせた正確な診断が可能になります。各疾患の治療方針は髄液検査結果に大きく依存するため、髄液検査は神経疾患診療において不可欠な検査といえます。
髄液中の電解質、特にクロールの測定は、一見地味な検査項目ですが、神経疾患の診断において重要な意義を持っています。髄液クロールは正常値が120~130 mEq/Lで、血清値よりもやや高値を示すのが特徴です。
髄液クロールの臨床的意義:
髄液クロールは主に食塩に由来し、血液-髄液間の移行は比較的容易で、血清クロール値の変動とほぼ並行します。臨床的には低値のみが問題となり、以下のような意義があります。
髄液クロール低下の疾患別程度:
髄液クロールが低下する機序としては、髄膜の炎症による血液脳関門の機能障害や、髄液産生・吸収のバランス異常などが考えられています。特に結核菌による持続的な炎症が、クロールの移行や代謝に影響を与えると推測されています。
なお、髄液検査において髄液クロールだけでなく、同時に血清クロール値も測定することが大切です。髄液で特に異常所見がない場合の髄液クロール低下は、血清クロールの低下による二次的現象の可能性があるためです。
神経疾患の早期診断や治療効果の評価において、従来の髄液検査項目に加えて、新たなバイオマーカーの研究が進んでいます。特に神経変性疾患や認知症などの領域で、髄液バイオマーカーの臨床応用が拡大しています。
アルツハイマー病の髄液バイオマーカー:
アルツハイマー病診断において、現在最も確立された髄液バイオマーカーは以下の3つです。
これらは「ATNシステム」と呼ばれる新しい研究枠組みで評価され、病態の進行度や治療の効果判定に役立てられています。
神経伝達物質代謝産物:
髄液中のホモバニリン酸(HVA)やセロトニン代謝産物の5-ヒドロキシインドール酢酸(5-HIAA)などの測定は、パーキンソン病や精神疾患の病態解明に貢献しています。これらは従来の髄液成分検査では評価できない神経系の機能状態を反映します。
新型コロナウイルス感染症と髄液検査:
COVID-19の神経系合併症例では、髄液中の特異的サイトカインプロファイルや抗体反応が報告されており、神経症状を呈する患者の診断や予後予測の参考になる可能性があります。
神経フィラメント蛋白(NfL):
近年特に注目されているバイオマーカーで、神経軸索損傷のマーカーとして、多発性硬化症やALS(筋萎縮性側索硬化症)などの疾患活動性や治療反応性の評価に有用とされています。髄液だけでなく、超高感度測定法の開発により血清でも測定可能になってきました。
マイクロRNA:
髄液中に存在する小分子RNA(マイクロRNA)のプロファイリングが、神経変性疾患や脳腫瘍の診断マーカーとして研究されています。特定のマイクロRNAパターンが疾患特異的であることが示唆されています。
髄液バイオマーカー研究の課題:
新規バイオマーカーの臨床応用には以下のような課題があります。
髄液検査は依然として神経疾患診断の「ゴールドスタンダード」ですが、今後は血液や尿などの非侵襲的サンプルによる代替マーカーの開発も進むと予想されます。しかし現時点では、確定診断や重症度評価において髄液検査の価値は揺るぎません。
バイオマーカー研究の進展により、将来的には疾患の早期診断や個別化医療の実現が期待されています。神経疾患の病態を詳細に反映する髄液成分の解析は、診断精度の向上だけでなく、新たな治療標的の発見にもつながる可能性があります。
髄液検査において、髄液圧(脳脊髄液圧)の測定は成分分析と同様に重要な意味を持ちます。正常な髄液圧は70~180 mmH₂Oであり、この範囲から外れる場合は様々な病態を示唆します。
髄液圧測定の方法:
腰椎穿刺時に針にあらかじめつないでおいた脳圧モニターを使用して測定します。測定値は患者の姿勢によって変化し、上体を起こして座った姿勢では頭蓋内と脊柱管の脳脊髄液の重みが穿刺部にかかるため高くなります。
標準的な測定姿勢は以下の通りです。
髄液圧異常と関連疾患:
髄液圧が著しく上昇している場合、脳ヘルニアのリスクが高まります。検査中に髄液が勢いよく流れ出るなど、圧が高いと判断される場合は、測定値を待たずに素早く針を抜くことも重要です。
クエッケンシュテット試験:
髄液圧に関連する特殊検査として「クエッケンシュテット試験」があります。これは頭蓋内の静脈とクモ膜下腔、および脊柱管内のクモ膜下腔が正常に交通しているかをみる試験です。
検査方法。
異常所見(クエッケンシュテット現象陽性)。
特に「Tobey-Ayer徴候」として知られる現象では、静脈閉塞がある側の頚静脈を圧迫しても脳脊髄液圧は上がらないが、正常側を圧迫すると上昇します。
臨床的注意点:
髄液圧測定は、特に頭痛、視力障害、意識障害などの症状がある患者において重要な診断情報を提供します。圧の異常と成分の異常を総合的に判断することで、より正確な診断が可能になります。