前立腺肥大症(BPH)は、前立腺尿道周囲部が良性腺腫として増大する病態です。この疾患は加齢とともに有病率が上昇し、剖検研究によれば31~40歳では8%程度ですが、80歳以上では80%を超えるとされています。
病態生理学的には、複数の線維腺腫性結節が前立腺の尿道周囲部で発生し、これらの結節が進行性に増大することで尿道を圧迫します。前立腺部尿道の内腔が狭窄化および延長するに伴い、尿流は進行的に阻害され、下部尿路閉塞をきたします。
下部尿路症状(LUTS)として以下のような症状が現れます。
これらの症状は、American Urological Association Symptom Score(AUA-SS)を用いて定量化することができ、症状の重症度を以下のように分類します。
前立腺肥大症による下部尿路閉塞は、膀胱排尿筋の代償性肥大を引き起こし、それに続いて肉柱形成や小胞形成、さらには憩室形成へと進行する可能性があります。また、排尿後の残尿は尿路感染症や結石形成の素因となります。
下部尿路閉塞、特に前立腺肥大症によるものは、膀胱機能に重大な影響を及ぼします。閉塞が長期間続くと、膀胱は代償機構を働かせて排尿圧を高めようとします。この過程で膀胱排尿筋の肥大が生じますが、やがて膀胱機能は低下し、排尿障害だけでなく蓄尿障害も引き起こすようになります。
膀胱機能への影響は主に以下の3つの側面から考えられます。
長期の閉塞は、膀胱内圧の上昇を引き起こし、これが上部尿路にまで及ぶと水腎症を引き起こし、最終的には腎機能低下につながる可能性があります。特に閉塞が両側性の場合や、単腎の場合、腎機能障害のリスクは高まります。
また、閉塞による尿流停滞は尿路感染症のリスクを高め、感染を合併すると症状は急速に悪化することがあります。特に高齢者では、無症候性の慢性閉塞が急性尿閉として突然症状が顕在化することもあり注意が必要です。
前立腺肥大症および関連する下部尿路閉塞性疾患の診断は、症状評価、身体診察、各種検査の組み合わせによって行われます。適切な診断アプローチを以下に示します。
症状評価。
国際前立腺症状スコア(IPSS)またはアメリカ泌尿器科学会症状スコア(AUA-SS)を用いて症状の重症度を評価します。これは7つの質問から構成され、排尿症状の重症度を数値化します。
身体診察。
直腸指診(DRE)は必須の診察法です。前立腺の大きさ、硬さ、表面の性状などを評価します。典型的な前立腺肥大症では、前立腺は腫大しゴム様の硬さを呈し、多くの症例では中心溝が消失しています。ただし、直腸指診での前立腺サイズの評価は誤差が生じやすく、小さく触れる前立腺でも有意な閉塞を引き起こすことがあります。
基本的検査。
尿流動態検査。
画像診断。
診断の際には、前立腺肥大症以外の下部尿路症状を引き起こす疾患(尿道狭窄、神経因性膀胱、膀胱頚部硬化症など)との鑑別が重要です。
近年の研究により、前立腺肥大症の発症と進行において前立腺の血流動態が重要な役割を果たしている可能性が示唆されています。これは従来の前立腺肥大症の病態理解に新たな視点をもたらし、治療標的としての可能性を開いています。
前立腺虚血と肥大症の関連。
複数の臨床および疫学研究において、高血圧、高脂血症、糖尿病といった動脈硬化性疾患が前立腺肥大症を含む下部尿路症状の危険因子となりうることが報告されています。これらの疾患は血管内皮機能障害を引き起こし、前立腺への血流を低下させる可能性があります。
実験動物モデルからの知見。
自然発症高血圧ラットを用いた研究では、前立腺血流の低下(虚血)が前立腺の細胞増殖や線維化、さらには前立腺平滑筋収縮の増大に関与することが示されています。これらの変化は前立腺肥大症の病態と密接に関連しています。
仮説モデル。
前立腺腫大がなくても膀胱の慢性虚血があれば下部尿路症状(LUTS)が生じるという仮説が提唱されています。これは前立腺肥大症がない症例でも下部尿路症状が見られる臨床現象を説明するものです。
治療への応用可能性。
この新しい知見から、血管拡張薬や動脈硬化を改善する治療法が前立腺肥大症の新たな治療アプローチとなる可能性が考えられています。実際、PDE5阻害薬は勃起不全だけでなく、下部尿路症状の改善にも効果を示すことが報告されており、これは血管拡張作用を介した効果である可能性があります。
前立腺の血流改善を標的とした治療は、従来の前立腺の大きさや平滑筋収縮に焦点を当てた治療とは異なるアプローチであり、特に虚血性変化が病態に関与している症例では有効である可能性があります。今後のさらなる研究により、この分野の理解が深まることが期待されます。
前立腺肥大症に対する前立腺血流を標的とした治療効果の可能性に関するより詳細な情報はこちらで参照できます
前立腺肥大症をはじめとする下部尿路閉塞性疾患の治療は、症状の重症度や患者の状態に応じて選択されます。現在の標準的な治療アプローチを薬物療法と手術療法に分けて解説します。
薬物療法の選択肢。
手術療法の選択肢。
治療選択の際には、症状の重症度(IPSS/AUA-SS)、前立腺体積、年齢、合併症、患者の希望などを総合的に考慮する必要があります。特に高齢者や合併症を有する患者では、治療によるベネフィットとリスクのバランスを慎重に評価することが重要です。
前立腺肥大症による尿閉や腎機能障害を伴う場合は、緊急的な尿路ドレナージが必要となる場合があります。尿路感染症を合併した閉塞性尿路疾患は緊急性が高く、速やかな閉塞解除と抗菌薬治療が必要です。
近年では、前立腺肥大症の病態に血流異常が関与しているという新たな知見をもとに、血管拡張作用を持つ薬剤の応用や、前立腺動脈塞栓術などの血管を標的とした治療法の開発も進んでいます。これらの治療法は、従来の治療に抵抗性を示す症例や特定の病態を持つ患者に新たな選択肢を提供する可能性があります。