トラメチニブ ジメチルスルホキシド付加物は、MEK1およびMEK2キナーゼを選択的に阻害する低分子化合物であり、BRAF遺伝子変異を有する腫瘍に対して開発された分子標的薬です 。この薬物の分子量は615.39であり、ジメチルスルホキシド(DMSO)との1:1付加物として存在しています 。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/d23eb3fd901184fa3d9ed7f11f8c3fd67610031a
トラメチニブの作用機序は、MAPK(mitogen-activated protein kinase)経路における重要な構成要素であるMEKキナーゼを標的とすることにあります 。MAPK経路は、RAS-RAF-MEK-ERKからなるシグナル伝達系で、細胞増殖や分化を制御する重要な役割を担っています 。がん細胞では、BRAF遺伝子変異により、この経路が異常に活性化されることが知られています 。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/faruawpsj/55/6/55_553/_pdf/-char/ja
薬物動態学的な観点から見ると、トラメチニブDMSO付加物の絶対バイオアベイラビリティは72.3%(90%信頼区間:50.0-104.6%)と中等度から高度な値を示し、個人差は45.7%から92.8%の範囲となっています 。この特性により、経口投与による安定した治療効果が期待できます。
参考)https://www.tga.gov.au/sites/default/files/auspar-trametinib-140317.pdf
トラメチニブは、ATP非競合型のアロステリックなMEK阻害薬として作用し、従来のATP競合型阻害薬とは異なる阻害メカニズムを持っています 。この薬物は、活性型MEKを阻害するだけでなく、不活性型MEKに対してより強く作用することが特徴的です。さらに、MEK自体の活性化を阻害する能力も有しており、これがトラメチニブの優れた抗腫瘍効果の基盤となっています。
BRAF遺伝子変異は、悪性黒色腫において最も頻繁に認められる遺伝子変異であり、白人で40-60%、日本人で約30%の症例で検出されます 。特にBRAF V600E変異(80-90%)とBRAF V600K変異が主要な変異タイプとして報告されています。これらの変異により、細胞増殖シグナルが過剰に活性化され、腫瘍の増殖や転移が促進されます。
参考)https://ubie.app/byoki_qa/feature-questions/pr7l0p5tgg
トラメチニブによるMEK阻害により、異常に活性化されたMAPK経路が遮断され、がん細胞の増殖が抑制されます 。この機序により、BRAF変異陽性腫瘍に対して選択的かつ効果的な治療効果が発揮されます。また、ダブラフェニブとの併用により、MAPK経路の2つの作用点で同時に阻害することで、より強力な腫瘍増殖抑制効果が得られることが明らかになっています 。
参考)https://kobe-kishida-clinic.com/respiratory-system/respiratory-medicine/trametinib-dimethyl-sulfoxide/
トラメチニブ ジメチルスルホキシド付加物(メキニスト®)は、現在複数の適応症で承認されています 。主要な適応疾患には、BRAF遺伝子変異を有する悪性黒色腫、BRAF遺伝子変異を有する切除不能な進行・再発の非小細胞肺癌、標準的な治療が困難なBRAF遺伝子変異を有する進行・再発の固形腫瘍(結腸・直腸癌を除く)、およびBRAF遺伝子変異を有する再発又は難治性の有毛細胞白血病があります。
参考)https://www.novartis.com/jp-ja/news/media-releases/prkk20231124
悪性黒色腫においては、手術で切除できない進行メラノーマや、遠隔転移が認められる場合にトラメチニブが選択されることが多くあります 。日本人のBRAF遺伝子変異陽性悪性黒色腫の原発部位は、被髪頭部で80%、体幹四肢で56-72%、頸部で44%、手掌足底で9-13%と部位による差が報告されています。
参考)https://oogaki.or.jp/hifuka/medicines/trametinib-dimethyl-sulfoxide/
治療開始前には、必ずBRAF遺伝子変異の確認が必要です 。組織生検や遺伝子検査により、BRAF変異の有無とその種類(V600EやV600Kなど)を確認することが原則となっています。変異のない患者に用いても十分な効果が得られない可能性が高いため、遺伝子検査による適応症の確認は治療の成功において極めて重要です。
投与対象となる患者の選択においては、腫瘍の大きさ(TNM分類による評価)、転移の有無(肺、肝臓、脳などの遠隔転移)、患者の全身状態(パフォーマンスステータス)、臓器機能、併存疾患(心臓病や感染症など)の総合的な評価が必要となります 。
トラメチニブの副作用管理は、医療従事者にとって最も重要な課題の一つです 。重大な副作用として、心障害、肝機能障害、間質性肺疾患、横紋筋融解症、静脈血栓塞栓症、脳血管障害が報告されています。ダブラフェニブとの併用時と単剤投与時では副作用の頻度が異なることも注意すべき点です。
参考)https://ubie.app/byoki_qa/medicine-clinical-questions/dmdjzqjlfx
心障害については、心不全(0.1%、0.5%)、左室機能不全(0.2%、1.4%)、駆出率減少(5.9%、4.7%)などが報告されており、治療中は定期的な心機能検査(心エコー等)による監視が必要です 。左室駆出率(LVEF)の変動を含む心機能の状態を十分に観察することが推奨されています。
参考)https://healthcare.kameda.com/cancer/img/medical/regimen/BRAF-1.pdf
肝機能障害では、ALT上昇(11.3%、4.3%)、AST上昇(11.5%、5.2%)などの肝酵素上昇を伴う肝機能障害が認められます 。定期的な肝機能検査により、早期発見と適切な対処が可能となります。また、横紋筋融解症は稀ながら重篤な副作用であり、特にダブラフェニブとの併用療法において注意深い観察が必要です 。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/nishinihonhifu/81/3/81_192/_article/-char/ja/
その他の一般的な副作用としては、下痢(33%)、悪心、発疹(56%)、ざ瘡様皮膚炎、皮膚乾燥、脱毛症、疲労、末梢性浮腫などが報告されています 。これらの副作用は患者のQOLに大きく影響するため、適切な支持療法と患者教育が重要です。また、網膜静脈閉塞、網膜色素上皮剥離、網膜剥離等の重篤な眼障害も報告されており、定期的な眼科検査による早期発見が推奨されています 。
参考)https://www.rad-ar.or.jp/siori/search/result?n=42290
トラメチニブの標準的な投与方法は、ダブラフェニブとの併用において、通常成人に対してトラメチニブとして2mgを1日1回、空腹時に経口投与することです 。術後補助療法の場合には、投与期間は12ヵ月間までとされており、患者の状態により適宜減量することが可能です。
参考)https://clinicalsup.jp/jpoc/drugdetails.aspx?code=71551
興味深い知見として、MEK阻害薬投与後に認められるERKシグナルの遮断は一時的なものにとどまることが研究により明らかになっています 。トラメチニブなどのMEK阻害薬は、ERKシグナルを一時的に遮断しますが、24時間後にはERKの再活性化が認められ、同時にPI3Kシグナルの上昇も伴うことが報告されています。このフィードバック機構の存在は、MEK阻害薬の効果持続性に影響を与える可能性があり、臨床においては継続的な投与と適切な観察が重要であることを示唆しています。
参考)https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-26830105/26830105seika.pdf
併用禁忌については、強力なCYP3A4誘導剤(リファンピシン、カルバマゼピン、フェニトインなど)との併用は避けるべきとされています 。これらの薬剤との併用により、ダブラフェニブの血中濃度が低下し、治療効果の著しい減弱が生じる危険性があります。また、QT間隔延長を引き起こす可能性のある薬剤との併用には細心の注意が必要であり、やむを得ず併用する際には心電図モニタリングの頻回実施が求められます。
参考)https://kobe-kishida-clinic.com/respiratory-system/respiratory-medicine/dabrafenib-mesilate/
希少疾患での応用として、BRAF V600E遺伝子変異陽性の胆管がん患者を対象とした第2相試験では、ダブラフェニブとトラメチニブの併用療法により全奏効率(ORR)51%を達成し、治療抵抗性進行がん患者の新たな治療選択肢として期待されています 。このような希少がん領域での臨床成績は、トラメチニブの治療適応拡大の可能性を示す重要なデータとなっています。
参考)https://www.cancerit.jp/gann-kiji-itiran/syoukakigann/kanzougann-tannougann/post-66860.html