静脈血栓塞栓症(VTE)は深部静脈血栓症(DVT)と肺塞栓症(PE)を含む疾患群であり、適切な診断と迅速な治療が求められる重要な疾患です。DVTの主な症状としては、足の痛みを伴う腫れが典型的です。特に片側の下肢に発症することが多く、腫脹、疼痛、発赤、熱感などの炎症徴候が特徴的です。重症度によっては、歩行困難や安静時痛を伴うこともあります。
一方、肺塞栓症では「胸の痛み」や「呼吸困難」が主な症状として現れます。突然の息切れや胸痛、頻呼吸、頻脈などが典型的で、重症例では失神や血圧低下、ショック状態に至ることもあります。脳梗塞の前兆として一過性脳虚血発作(TIA)が出現する場合もあり、「手足のまひやしびれ」、「しゃべりにくい」といった症状が現れることがあります。
診断においては、まず臨床症状と危険因子の評価が重要です。血液検査ではD-ダイマーが有用なスクリーニング検査となります。D-ダイマー値が正常であれば、VTEの可能性は低いとされますが、陽性の場合には画像診断による確認が必要です。DVTの確定診断には下肢静脈エコー検査や造影CT検査が、肺塞栓症の診断には胸部造影CTや肺血流シンチグラフィーが有用です。
また、トルソー症候群などのがん関連静脈血栓塞栓症では、原因不明の静脈血栓症が発見された場合には、背景に悪性腫瘍が隠れている可能性も考慮する必要があります。特に再発性の血栓症や通常とは異なる部位での血栓形成がみられる場合には、悪性腫瘍のスクリーニング検査を検討すべきでしょう。
静脈血栓塞栓症の治療の基本は抗凝固療法です。治療の主な目的は肺塞栓症の予防、症状の軽減、DVTの再発防止、そして慢性静脈不全症や静脈炎後症候群の予防です。
治療は一般に初期治療と長期治療に分けられます。初期治療では、従来、未分画ヘパリンの注射剤を5~7日間投与し、その後経口薬による長期治療へ移行するのが標準的なアプローチでした。この初期治療は発症から約1週間(5~10日間)にわたって行われます。
長期治療では、以前はワルファリンが主に使用されていましたが、近年は直接作用型経口抗凝固薬(DOAC)が第一選択薬として推奨されるようになってきています。DOACの導入により、定期的な血液検査によるモニタリングの必要性が低減し、食事制限も不要となったため、患者の負担が大幅に軽減されました。
抗凝固療法の選択肢は以下のようになります。
ワルファリンを開始する場合、治療効果が得られるまでに約5日かかるため、速効性のヘパリンと5~7日間重複させる必要があります。一方、DOACは内服後2~3時間以内に治療効果が得られるため、ヘパリンの注射剤と重複させる必要はありません。これにより、DOACでは入院期間の短縮や外来での治療開始が可能となりました。
治療期間については、一般的には3~6ヶ月の抗凝固療法が推奨されますが、誘因がない特発性VTEや再発例では長期間の治療が必要となることがあります。がん患者の場合は、がんが活動性である限り抗凝固療法を継続することが望ましいとされています。
静脈血栓塞栓症の治療薬は大きく分けて、ヘパリン系、ビタミンK拮抗薬、直接作用型経口抗凝固薬(DOAC)、血栓溶解薬の4種類があります。それぞれの特徴を詳しく見ていきましょう。
ヘパリン系抗凝固薬
未分画ヘパリンは最も古くから使用されている抗凝固薬で、アンチトロンビンを介して間接的に抗凝固作用を示します。静脈内投与では効果が即効性で、必要に応じて拮抗薬(プロタミン)の投与も可能です。しかし、コントロールが難しく、ヘパリン起因性血小板減少症(HIT)のリスクがあります。
低分子量ヘパリン(LMWH)は未分画ヘパリンよりも出血リスクが低く、皮下注射で1日1~2回の投与が可能です。特にがん患者の静脈血栓塞栓症に対しては低分子ヘパリンがより効果的と考えられており、米国胸部学会のガイドラインでは第1選択薬として推奨されています。しかし、日本では慢性期の静脈血栓塞栓症の予防では保険適用外となっている点が課題です。
フォンダパリヌクスは間接的第Xa因子阻害薬で、2011年に登場しました。コントロールは容易ですが、注射薬であるため外来治療は困難です。
ビタミンK拮抗薬
ワルファリンは長年使用されてきた経口抗凝固薬ですが、効果発現まで時間がかかり、食事や薬物相互作用の影響を受けやすく、定期的なPT-INRのモニタリングが必要です。日本人ではワルファリン療法時の頭蓋内出血リスクが他の人種と比較して高いという報告もあります。がん患者の静脈血栓塞栓症に対しては効果が不十分とされ、米国胸部学会のガイドラインでは第2選択薬とされています。
直接作用型経口抗凝固薬(DOAC)
DOACには第Xa因子阻害薬(アピキサバン、リバーロキサバン、エドキサバンなど)とトロンビン阻害薬(ダビガトラン)があります。これらは、凝固因子を直接的に阻害するため、効果発現が速く(内服後2~3時間以内)、薬物動態が予測可能で、モニタリングが不要です。食事制限も少なく、ワルファリンと比較して出血リスクが低いとされています。
アピキサバンに関しては、AMPLIFY-J試験で従来治療(未分画ヘパリン/ワルファリン)と比較して、VTE再発またはVTE関連死が少なく、出血性合併症も少ないことが示されました。2015年12月にVTEの治療および再発抑制について承認を取得しており、外来での治療開始も可能となっています。
血栓溶解薬
血栓溶解薬(アルテプラーゼ、テネクテプラーゼ、ストレプトキナーゼなど)は、血栓を溶解する作用を持ちますが、出血リスクが高いため、適応は限定的です。主に、広範な腸骨-大腿静脈領域のDVTを有する若年患者(60歳未満)で出血の危険因子がない場合や、肢の虚血が発生しつつあるか既に存在している広範なDVT(有痛性青股腫など)の患者に考慮されます。
ただし、臨床試験では血栓溶解療法は従来の抗凝固療法と比較して静脈炎後症候群の発生率が低下しないことが示されており、慎重な患者選択が必要です。
がん患者は静脈血栓塞栓症(VTE)の高リスク群であり、がん関連VTEは一般的なVTEとは異なる治療アプローチが必要です。がん患者では血栓形成傾向が強く、また抗凝固療法中でも再発リスクが高いという特徴があります。さらに、出血リスクも高いため、治療選択には慎重な判断が求められます。
トルソー症候群は、がん患者の脳梗塞の4分の1を占める重要な病態です。通常の静脈血栓塞栓症と同様に抗凝固療法が主体となりますが、治療薬の選択においては特別な考慮が必要です。
がん関連VTEの治療において、米国胸部学会のガイドライン(2016年)では、第1選択薬は低分子ヘパリン、第2選択薬はワルファリン、第3選択薬はDOAC(直接作用型経口抗凝固薬)とされています。これは非がん患者のVTEに対する推奨(第1選択薬はDOAC、第2選択薬はワルファリン)とは異なる点に注意が必要です。
がん患者の静脈血栓塞栓症については、ワルファリンでは効果が不十分で、ヘパリンの長期投与が推奨されています。特に低分子ヘパリンのほうが未分画ヘパリンよりも出血リスクが低く、より効果的と考えられていますが、日本では慢性期の予防に対しては保険適用外という課題があります。
そのため、日本での現状としては、静脈血栓塞栓症の薬物治療では未分画ヘパリン(皮下注射)かワルファリン(内服)のどちらかを選択することになりますが、ワルファリンは使用が難しく、同じ用量でも効果が変動しやすいという欠点があります。
最近の研究では、DOACとがん関連VTEに関するエビデンスも蓄積されつつあり、今後のガイドライン改定でDOACの推奨度が上がる可能性も示唆されています。実際、臨床試験では低分子ヘパリンとDOACを直接比較した研究が進行中であり、その結果が待たれています。
がん関連VTEの治療期間については、がんが活動性である限り抗凝固療法を継続することが望ましいとされています。また、治療中でも定期的な再評価を行い、がんの状態や出血リスク、薬物相互作用などを考慮して治療方針を見直すことが重要です。
がん治療と抗凝固療法の併用においては、薬物相互作用に注意が必要です。特に、化学療法薬や分子標的薬とワルファリンやDOACとの相互作用は、効果の増強や減弱をもたらす可能性があります。また、血小板減少を引き起こす化学療法中の抗凝固療法では、出血リスクの増加に注意が必要です。
予防的な観点からは、トルソー症候群や静脈血栓塞栓症の予防では脱水にならないように十分な水分摂取を心がけることが重要です。また、脳梗塞の前兆として一過性脳虚血発作(TIA)が出現することがあるため、その症状にも注意を払う必要があります。
静脈血栓塞栓症(VTE)は適切な予防策と患者教育によって、発症リスクや再発リスクを低減することが可能です。医療従事者は患者の状態に応じた予防戦略を立て、効果的な患者指導を行うことが求められます。
リスク評価と予防戦略
VTEの予防には、まずリスク評価が重要です。手術、長期臥床、悪性腫瘍、高齢、肥満、妊娠・産褥期、経口避妊薬の使用、先天性血栓性素因など、様々なリスク因子があります。これらのリスク因子を評価し、リスクに応じた予防策を講じる必要があります。
予防法は大きく分けて、機械的予防法と薬理学的予防法があります。機械的予防法には早期離床、弾性ストッキング、間欠的空気圧迫法などがあります。薬理学的予防法には低用量ヘパリン、低分子量ヘパリン、フォンダパリヌクス、DOACなどの投与があります。
特に手術や長期入院を要する患者では、早期からの予防策の実施が重要です。外科手術の種類やリスク評価に基づいて、適切な予防法を選択します。
患者教育のポイント
VTE患者への指導では、以下のポイントを押さえることが重要です。
特殊な患者集団への対応
妊娠中や産後の女性、がん患者、高齢者、腎機能障害のある患者など、特殊な患者集団では個別化した予防戦略と患者教育が必要です。
例えば、妊娠中のVTE予防には、機械的予防法が優先され、高リスク妊婦には低分子量ヘパリンが考慮されます。ワルファリンは胎盤を通過するため妊娠中は禁忌です。
がん患者では、化学療法や手術などの治療に関連したVTEリスクが高まるため、状況に応じた予防策と、がん治療と抗凝固療法の相互作用についての情報提供が重要です。
高齢者では、転倒リスクと出血リスクのバランスを考慮した予防策と、多剤併用による相互作用についての注意が必要です。
医療チームの連携
VTEの予防と管理には、医師、看護師、薬剤師、理学療法士など多職種による連携が重要です。それぞれの専門知識を活かした患者指導と、継続的なフォローアップが、VTEの発症予防と再発防止に貢献します。
がん関連静脈血栓塞栓症における最新の診療ガイドラインについての詳細情報
上記リンクでは、がん関連静脈血栓塞栓症の診断と治療に関する最新のガイドラインについて詳しく解説されています。特に、抗凝固療法の選択と期間についての推奨事項が参考になります。