肥満細胞は、骨髄由来の造血幹細胞から分化した細胞で、体内のほぼすべての組織に存在しています。特に外界と接触する皮膚、気管支、鼻粘膜、腸管などの粘膜組織や結合組織に多く分布しています。その名称から肥満との関連を連想させますが、実際には肥満症とは無関係です。
肥満細胞の最大の特徴は、細胞質内に多数の顆粒を持つことです。この顆粒内には様々な生理活性物質が含まれており、主なものとしては以下が挙げられます。
肥満細胞は生体防御において重要な役割を果たしています。特に寄生虫感染に対する防御では、IL-33を産生してILC2(2型自然リンパ球)を活性化し、粘液分泌を促進することで寄生虫の排除に貢献します。また、組織修復や血流調節にも関与していることが明らかになっています。
2017年に理化学研究所が発表した研究では、肥満細胞が寄生虫感染に対する自然免疫の発動を担うという新たな機能が示されました。寄生虫感染により損傷を受けた腸管上皮細胞から放出されるATPが肥満細胞を活性化し、IL-33の産生を促すことで、防御反応が開始されるのです。
肥満細胞はI型アレルギー反応(即時型アレルギー)の主役として知られています。このメカニズムは以下のように進行します。
肥満細胞が放出するメディエーターは即時相だけでなく、遅発相にも影響を与えます。脱顆粒によって放出される一次メディエーターに加え、アラキドン酸代謝物(ロイコトリエン、プロスタグランジン)や各種サイトカイン・ケモカインなどの二次メディエーターの産生・放出も起こります。
興味深いのは、2019年の研究で肥満細胞が自己制御機構を持つことが明らかになったことです。肥満細胞上のIgE受容体が活性化されると、通常はアレルギー反応を促進するヒスタミンなどを放出しますが、同時に自らの活性を抑制する機構も働いていることが示されました。この自己制御機構の破綻がアレルギー疾患の重症化に関与している可能性があります。
また、肥満細胞はアレルゲン以外の刺激によっても活性化されることがわかっています。例えば。
特に東京大学の研究グループにより、細胞外ATPと肥満細胞表面のP2X7受容体との結合が、炎症性腸疾患などの病態に関与していることが示されました。この発見は、P2X7受容体を標的とした新たな治療法の可能性を示唆しています。
肥満細胞に関連する疾患として、肥満細胞症と肥満細胞活性化症候群が知られています。これらの疾患は、肥満細胞の異常な増殖や活性化に起因します。
肥満細胞症(Mastocytosis) は、肥満細胞の増殖および皮膚や他の器官への浸潤を特徴とする疾患群です。以下のように分類されます。
肥満細胞症の多くの症例では、肥満細胞上に発現している幹細胞因子受容体c-kitをコードする遺伝子の活性化突然変異(D816V)が原因となっています。この変異により受容体の自己リン酸化が起こり、肥満細胞の無制御な増殖が引き起こされます。
肥満細胞症の主な症状
一方、肥満細胞活性化症候群(Mast Cell Activation Syndrome: MCAS) は、肥満細胞のクローン性増殖や臓器浸潤を伴わないものの、肥満細胞の活性化が不適切に亢進している状態です。このため脱顆粒が容易に起こり、全身性肥満細胞症と似た症状が出現します。
興味深いことに、肥満細胞活性化症候群は体位性頻脈症候群(POTS)やエーラス-ダンロス症候群と関連していることが多いとされていますが、その関係性の本質はまだ解明されていません。
肥満細胞症や肥満細胞活性化症候群の診断には、以下の検査が有用です。
肥満細胞が関与する疾患に対して、従来はヒスタミンなど放出されたメディエーターの作用を抑える対症療法が中心でした。しかし近年、肥満細胞そのものを標的とした新しい治療法の開発が進んでいます。
2024年2月に報告された研究では、ナノ粒子を用いて肥満細胞を不活性化する新たな治療法が開発されています。この方法では、肥満細胞を完全に除去するのではなく、特異的に不活性化することで、血流調節や寄生虫との戦いなど肥満細胞の有益な機能を保持しながら、アレルギー反応のみを抑制することが可能となります。
ナノ粒子を用いた肥満細胞不活性化治療に関する最新研究
現在臨床で使用されている、または開発中の肥満細胞を標的とした治療法には以下のようなものがあります。
獣医学領域では、犬の肥満細胞腫に対して分子標的薬が既に臨床応用されており、効率的で副作用の少ない治療法として注目されています。このアプローチはヒトの肥満細胞関連疾患にも応用可能かもしれません。
また、肥満細胞の活性化を抑制する食事や生活習慣の改善も補助的アプローチとして重要です。
肥満細胞の研究において比較的新しい視点として、加齢に伴う組織変化と肥満細胞の関連が注目されています。加齢に伴い、私たちの体内では様々な組織変化が起こりますが、肥満細胞もこのプロセスに深く関わっていることが明らかになりつつあります。
2018年のBritish Journal of Dermatologyに掲載された研究によると、高齢者の皮膚では若年者と比較して肥満細胞の数が約40%多く、特に真皮乳頭層に集中していることが示されました。興味深いことに、これらの肥満細胞は若年者の肥満細胞と比べて脱顆粒の発生率が50%低く、グランザイムBを共発現していることが特徴です。
また、加齢した皮膚では肥満細胞とマクロファージおよび神経線維の関連が強まる一方で、血管との相互作用は弱まっています。さらに、血管作動性腸管ペプチド陽性神経線維の発生率が3倍高く、これらが肥満細胞と強い関連を持つことが示されています。
加齢による皮膚への肥満細胞蓄積に関する研究
このような加齢に伴う肥満細胞の変化は、高齢者の皮膚で見られる以下のような特徴と関連している可能性があります。
さらに、2025年3月に名古屋大学から発表された研究では、肥満の過程で脂肪組織を構成する細胞が大きく変化することが明らかにされました。特に、コラーゲンが過剰に蓄積する線維化の進行した肥満では、免疫細胞と線維芽細胞が特徴的なシグナルで相互作用していることが示されています。
これらの知見は、加齢や肥満に伴う組織変化における肥満細胞の役割を示唆しており、加齢関連疾患や肥満関連疾患の新たな治療標的となる可能性を秘めています。例えば、加齢に伴う皮膚の変化を予防するために肥満細胞の機能を調節することで、高齢者の皮膚トラブルを軽減できる可能性が考えられます。
肥満細胞は単にアレルギーや感染防御に関わるだけでなく、組織のホメオスタシスや加齢に伴う変化にも重要な役割を果たしていることがわかってきました。今後の研究により、これらの知見を活かした新たな予防・治療法が開発されることが期待されます。