造血幹細胞(HSC)は、血液細胞におけるヒエラルキーの最上位に位置する組織幹細胞です。赤血球、白血球、血小板など、体内のすべての血液細胞の大元となる幹細胞であり、その特徴として高い自己複製能と多分化能を備えています。この自己複製能により、造血幹細胞は生涯にわたって枯渇することなく、骨髄内で再生され続けます。
造血幹細胞の最も重要な機能は血球産生能です。通常の状態では、造血幹細胞の大部分は休眠状態(G0期)にありますが、必要に応じて活性化され、分裂することで血球前駆細胞を生み出します。これらの前駆細胞がさらに分化することで、最終的に成熟した血液細胞が産生されます。
近年の研究では、造血幹細胞の中にもさらなる階層性が存在することが明らかになってきました。すべての造血幹細胞が同じ性質を持つわけではなく、再生能力や分化能力に差があることがわかっています。特に注目すべきは、一酸化窒素(NO)高発現造血幹細胞(NO hiHSC)の存在です。これらは定常状態では休眠状態を維持し、免疫細胞からの攻撃を回避する能力を持ち、移植時には長期にわたる強固な再生能力を示すことが名古屋大学とハーバード大学の共同研究によって明らかにされました。
造血幹細胞の機能を理解する上で重要なのは、その細胞表面マーカーです。ヒトの造血幹細胞を同定する際に最もよく用いられるのはCD34抗原であり、CD34陽性細胞には多能性の幹細胞から各系列に分化した前駆細胞まで様々な造血細胞が含まれています。これに加えて、CD38、CD90(Thy-1)、CD45RAなどの表面マーカーを組み合わせることで、より純度の高い造血幹細胞集団を同定することが可能になっています。
造血幹細胞ニッチとは、造血幹細胞が存在する特別な微小環境のことを指します。このニッチは、造血幹細胞が幹細胞としての性質を維持するために必要な環境を提供しています。長い間概念上の存在であったニッチですが、近年の研究により、その実態が分子レベルで明らかになりつつあります。
骨髄内のニッチには主に2種類あることがわかっています。一つは骨内膜(エンドステアル)ニッチと呼ばれ、骨と骨髄の境界部分に存在します。もう一つは血管(ペリバスキュラー)ニッチで、骨髄内の血管周囲に形成されています。これら異なるニッチは、そこに存在する造血幹細胞の再生能力に違いを形成していることが示唆されています。
特に興味深いのは、研究により、造血幹細胞の中で最も再生能力の高い幹細胞が主としてヘアピン構造状の血管が多い骨末端部に存在することが明らかになった点です。この部位では、血管内皮が血流シアストレスによって誘導される免疫制御分子CD200を介して、造血幹細胞の一酸化窒素発現と幹細胞性を維持していることが示されました。
間葉系幹細胞(MSC)も造血幹細胞ニッチの形成に重要な役割を果たしています。慶應義塾大学の研究では、Nestin陽性の間葉系幹細胞と造血幹細胞が相互に作用することで、独特なニッチを形成していることが報告されています。この相互作用によって、造血幹細胞の多分化能や自己複製能が維持されるのです。
加齢に伴い、造血幹細胞とニッチを形成する間葉系幹細胞の間の相互作用にも変化が生じることがわかっています。上原記念生命科学財団の研究報告によれば、液性因子であるKitlやCxcl12の発現には変化がないものの、接着因子であるVcam1の発現が加齢に伴って低下することが示されています。このことは、造血幹細胞と間葉系幹細胞の接着が加齢とともに減弱し、それが造血幹細胞の機能変化に影響を与える可能性を示唆しています。
造血幹細胞は加齢に伴い、さまざまな変化を示すことが知られています。特に重要なのは、造血再構築能および正常な分化能が徐々に失われていく一方で、骨髄中の幹細胞の総数はヒトでもマウスでも増加するという矛盾した現象です。このパラドックスは、加齢に伴い造血幹細胞の質が変化することを示唆しています。
上原記念生命科学財団の研究では、加齢造血幹細胞の変化メカニズムを解明するために、単一細胞RNA-seq(scRNA-seq)技術を用いた詳細な解析が行われました。この研究によれば、造血幹細胞の加齢変化は細胞分裂によって引き起こされるという仮説が支持されています。細胞分裂履歴を評価できるH2B-GFPマウスを用いた実験では、細胞分裂した造血幹細胞と分裂していない細胞とでは遺伝子発現プロファイルに明確な相違があることが示されました。
また、カリフォルニア大学サンディエゴ校とハーバード大学の共同研究では、胎児期から77歳の高齢者まで22種類のタイムポイントでCD34陽性細胞を分離し、single cell RNA sequencingで解析することで、ヒトの一生における造血の動態を明らかにする試みがなされています。この研究では、各発達段階における造血幹細胞コンパートメントの変化と遺伝子発現パターンの変化が詳細に調べられており、2024年12月に Nature Medicine に掲載されました。
加齢に伴う造血幹細胞の機能変化としては、以下のような特徴が報告されています。
これらの変化は、高齢者における貧血や免疫機能低下、造血器腫瘍の発症率増加などの臨床的問題と関連していると考えられています。加齢に伴う造血幹細胞の変化を理解することは、高齢化社会における血液疾患の予防や治療に重要な示唆を与えるものです。
骨髄内において、造血幹細胞はさまざまなニッチ構成細胞と相互作用していますが、なかでも間葉系幹細胞(MSC)との相互作用は特に重要です。間葉系幹細胞は骨、軟骨、脂肪などに分化する能力を持つ多能性幹細胞ですが、それと同時に造血幹細胞のニッチとしても機能しています。
慶應義塾大学の研究によれば、骨髄においてNestin陽性の間葉系幹細胞と造血幹細胞が相互に作用することで、独特なHSCニッチを形成していることが明らかになっています。Nestinは中間径フィラメントタンパク質の一種であり、神経幹細胞のマーカーとしても知られていますが、骨髄においてはNestin陽性細胞が造血幹細胞ニッチの重要な構成要素となっています。
間葉系幹細胞は、さまざまな液性因子やサイトカインを分泌することで造血幹細胞の維持や調節に関わっています。主要な因子としては、幹細胞因子(SCF、KITリガンド)、ストロマ細胞由来因子-1(SDF-1、CXCL12)などが挙げられます。上原記念生命科学財団の研究報告では、これらの液性因子の遺伝子発現(KitlやCxcl12)は加齢によっても維持されていることが示されています。
一方で、造血幹細胞と間葉系幹細胞の間の接着に関わる因子であるVcam1(血管細胞接着分子-1)の発現は加齢に伴って低下することが報告されています。Vcam1はインテグリンα4β1(VLA-4)のリガンドであり、造血幹細胞の骨髄ニッチへの定着に重要な役割を果たしています。この接着分子の発現低下は、加齢に伴う造血幹細胞と間葉系幹細胞の相互作用の変化を示唆しており、このことが高齢者における造血幹細胞の機能変化に寄与している可能性があります。
間葉系幹細胞自体も加齢に伴って変化しますが、興味深いことに、間葉系幹細胞の加齢に伴う遺伝子発現変化は造血幹細胞ほど明瞭ではないことが報告されています。このことは、造血幹細胞の加齢変化には細胞自律的な要因と、ニッチ環境による非細胞自律的な要因の両方が関与していることを示唆しています。
近年の研究において、造血幹細胞における一酸化窒素(NO)の重要性が明らかになってきました。名古屋大学とハーバード大学の共同研究チームは、一酸化窒素高発現造血幹細胞(NO hiHSC)が特殊な性質を持つことを発見しました。
NO hiHSCは通常の状態では休眠状態を維持し、免疫細胞からの攻撃を回避する能力を持っています。また、移植実験において長期にわたる強固な再生能力を示すことが確認されました。興味深いことに、これらのNO hiHSCは主として骨髄の特定の部位、特にヘアピン構造状の血管が多い骨末端部に集中して存在していることが3次元イメージング技術によって明らかになりました。
この発見の重要な点は、血管内皮細胞が血流シアストレス(流体力学的刺激)によって免疫制御分子CD200を発現し、それを介して造血幹細胞のNO発現と幹細胞性を維持しているという分子メカニズムです。これは血管が単なる「血液の通り道」ではなく、幹細胞や免疫細胞を積極的に制御する「組織への扉」として機能していることを示す革新的な発見です。
この研究成果は、造血幹細胞移植や再生医療への応用が期待されます。特にNO hiHSCの特性を活かした移植戦略や、血流シアストレスを人工的に制御することによる造血幹細胞の体外での維持・増幅技術の開発などが考えられます。また、CD200を介した免疫制御メカニズムの解明は、移植片対宿主病(GVHD)などの免疫関連合併症の予防や治療にも新たな視点をもたらす可能性があります。
さらに、この研究は血管内皮細胞を標的とした新たな治療アプローチの可能性も示唆しています。血管内皮細胞の機能を制御することで、造血幹細胞ニッチの環境を最適化し、加齢や疾患によって損なわれた造血機能の回復を目指す治療法の開発が期待されます。
造血幹細胞研究の進展は、白血病などの血液悪性腫瘍の理解にも貢献しています。例えば、日本造血細胞移植学会雑誌では、TP53陽性骨髄性腫瘍とその治療戦略に関する研究や、慢性活動性EBウイルス感染症の病態と治療に関する研究なども報告されています。これらの研究は、造血幹細胞の正常な機能と異常な機能を対比することで、疾患メカニズムの理解と新たな治療法の開発につながるものです。
造血幹細胞研究における最近のブレイクスルーとして、京都大学の小川誠司教授らによる造血幹細胞のゲノム解析や、東京大学の白髭克彦教授らによる間葉系幹細胞の解析技術の進展も注目されています。これらの技術革新により、造血幹細胞研究はより精緻になり、個々の細胞レベルでの詳細な解析が可能になってきています。
以上のように、造血幹細胞における一酸化窒素の役割の解明は、基礎研究の面白さだけでなく、臨床応用への大きな可能性を秘めた重要な発見といえるでしょう。今後の研究の進展によって、再生医療や免疫制御、さらには炎症制御など、幅広い分野への応用が期待されています。