トラスツズマブによる心機能障害は、HER2受容体がneuregulin-1のシグナル伝達に重要な役割を担っているためと考えられている 。心筋細胞におけるHER2受容体の阻害により、心筋保護機能が低下し、可逆性の心機能低下を引き起こす 。日本人患者における無症候性心機能低下の発現率は3~17%、症候性心不全は1~11%と報告されており、アントラサイクリン系抗がん剤の投与歴がある患者では27%に上昇する 。
参考)https://www.jcc.gr.jp/journal/backnumber/bk_jjc/pdf/J051-2.pdf
左室駆出率(LVEF)の低下は通常可逆性であり、約80%の症例で回復するとされているが、まれに心不全死例も報告されている 。心機能障害の特徴として、投与量に依存しない発症パターンを示すため、予測が困難である点が挙げられる 。心機能低下は治療開始から数ヶ月以内に発現することが多く、継続的なモニタリングが不可欠となる 。
参考)https://www.jcc.gr.jp/journal/backnumber/bk_jjc/pdf/J031-4.pdf
心毒性の発現には炎症誘導メカニズムが関与していることが近年の研究で明らかになっており、本薬剤を受ける患者の約10%に副作用として生じる心毒性は、発症をきっかけに乳癌の治療を中断せざるを得ない場合がある 。
参考)https://www.juntendo.ac.jp/news/00627.html
インフュージョン・リアクションは、薬剤投与中または投与開始24時間以内に多く発現する症状である 。主な症状として発熱、悪寒、嘔気、嘔吐があり、初回投与時の約40%の患者に発現するが、2回目以降では5%以下に大幅に減少する 。重篤な場合にはアナフィラキシー様症状(低血圧、頻脈、めまい、喘鳴、血管・咽頭浮腫)や呼吸不全などの肺障害も報告されている 。
参考)http://www.tokyo-breast-clinic.jp/seminar/approach/molecular-targeted/
予防策として、投与前にデキサメタゾン注射とロキソプロフェン錠の前投薬を実施することが推奨される 。これらの前投薬により、インフュージョン・リアクションの発現頻度は大幅に改善されるものの、完全な予防は困難である。初回投与時には心電図モニターやパルスオキシメーターを装着し、患者の状態を継続的に観察する必要がある 。
参考)https://www.kango-roo.com/learning/4126/
症状が出現した場合は、投与を一時中止し、解熱剤の投与や症状に応じた支持療法を行う。大多数の患者で症状は軽快し、その後の投与継続が可能となる 。投与後24時間は症状発現の可能性があるため、患者への十分な説明と観察継続が重要である 。
参考)https://ykh.kkr.or.jp/common/img/2023/10/geka_nyu_harptxcbd.pdf
トラスツズマブによる肺障害は、間質性肺炎や急性呼吸促迫症候群として発現し、重篤な副作用の一つである 。肺障害の初期症状として、階段昇降や軽い運動時の息切れ、空咳の持続、発熱などが挙げられる 。これらの症状は心機能障害による心不全症状と類似するため、鑑別診断が重要となる。
参考)https://www.anticancer-drug.net/molecular/trastuzumab.htm
肺障害の発現時期に明確な好発時期はなく、治療期間を通じて発現する可能性があるため、継続的な観察が必要である 。患者には呼吸器症状の変化について詳細に説明し、異常を感じた場合の早期受診の重要性を指導する必要がある。
参考)https://www.pmda.go.jp/RMP/www/430574/d0b29598-fe09-4105-a18e-b5ae425a092e/430574_42914D0D1026_10_010RMPm.pdf
診断には胸部CT検査が有用であり、すりガラス様陰影や網状影の出現により早期発見が可能となる。重症例では人工呼吸器管理が必要となる場合もあるため、症状発現時の迅速な対応が求められる。肺障害が確認された場合は、トラスツズマブの投与中止と副腎皮質ステロイドによる治療が検討される 。
トラスツズマブ治療においては、治療開始前および治療中の定期的な心機能評価が必須である 。治療開始前には心エコー検査により左室駆出率(LVEF)を測定し、ベースラインの心機能を評価する。アントラサイクリン系薬剤の投与歴がある患者や基礎心疾患を有する患者では、より慎重な評価が必要となる 。
参考)https://www.niigata-cc.jp/facilities/ishi/Ishi50_1/Ishi50_1_06.pdf
治療中のモニタリング頻度については、現行ガイドラインでは3ヶ月毎の頻回な左室駆出率(LVEF)監視が推奨されている 。しかし、患者の基礎リスクに応じた個別化されたリスク層別化とモニタリング戦略の重要性が指摘されており、一律の頻回モニタリングの見直しが検討されている 。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12046757/
心機能低下の早期発見には、患者自身による症状の観察も重要である。動悸、息切れ、下肢のむくみ、急激な体重増加などの心不全症状について患者教育を行い、異常時の早期受診を促すことが効果的である 。心機能低下が認められた場合は、トラスツズマブの休薬または中止を検討し、ACE阻害薬や利尿薬による心不全治療を開始する 。
参考)https://www.fujioka-hosp.or.jp/regisetu/49_weeklyherceptin.pdf
日本人におけるトラスツズマブの副作用発現パターンには、欧米人との相違点が認められる。日本人HER2過剰発現乳癌患者における副作用発現率は85.4%と高い値を示し、主な副作用として発熱36.6%、悪寒などが報告されている 。これは欧米での報告と比較して発熱の発現頻度が高い傾向にある。
参考)https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00067786
日本人における心機能障害の発現頻度は、欧米の報告と同程度の2~4%とされているが、アントラサイクリン系薬剤との併用により発現率が上昇する点は共通している 。しかし、心機能障害からの回復率や予後については、日本人でも良好な結果が得られており、約80%の症例で心機能の改善が認められる 。
近年の臨床試験データでは、日本人集団における副作用発現割合は100.0%と報告されており、これは欧米人と比較して高い傾向を示している 。特に消化器症状(悪心、嘔吐、下痢)の発現頻度が高く、日本人患者では40~47%の高頻度で認められる 。これらの知見から、日本人患者に対してはより注意深い副作用モニタリングと予防的対策が重要となる。
参考)https://www.pmda.go.jp/drugs/2020/P20200420002/430574000_30200AMX00425_K101_1.pdf