トファシチニブ(商品名:ゼルヤンツ®)は、炎症の伝達経路であるヤヌスキナーゼ(JAK)-STAT経路を標的とする低分子化合物です。JAKファミリー(JAK1、JAK2、JAK3、TYK2)を選択的に阻害することにより、多くの炎症性サイトカイン(TNFα、IL-6、IL-2など)のシグナル伝達を遮断します。
炎症性サイトカインが細胞表面の受容体に結合すると、通常は受容体に付随するJAKタンパク質が活性化され、シグナルが核内へと伝わります。この一連の情報伝達により、炎症反応が惹起されることで関節リウマチや潰瘍性大腸炎などの炎症性疾患が進行します。
トファシチニブはこのJAKを阻害することにより、サイトカインによる刺激が核に伝わるのを防ぎ、炎症反応を抑制します。つまり、炎症の「源流」に働きかけることで、効果的に疾患活動性を抑制する作用を持っています。
従来の生物学的製剤(抗TNFα抗体など)が特定の炎症性サイトカインのみを標的とするのに対し、JAK阻害薬は複数のサイトカイン経路を同時に遮断できる点が特徴的です。また、経口投与が可能という利便性も大きな利点です。
トファシチニブは日本では2013年に関節リウマチの治療薬として承認され、2018年には潰瘍性大腸炎にも適応が追加されました。メトトレキサートなどの従来治療で効果不十分な場合の治療選択肢となっています。
【関節リウマチにおける効果】
関節リウマチに対するトファシチニブの臨床試験では、プラセボと比較して有意に高い臨床症状の改善率、関節破壊進行の抑制効果、身体機能の改善効果が示されています。特に、生物学的製剤で効果不十分だった患者においても効果が認められている点は臨床的に重要です。
【潰瘍性大腸炎における効果】
潰瘍性大腸炎においては、中等症~重症の患者に対する寛解導入療法として1回10mg(1日2回)、寛解維持療法として1回5mg(1日2回)の用量で使用されます。臨床的寛解率、内視鏡的改善率ともに高い効果が報告されています。
【用法・用量】
効果不十分な場合、特に抗TNFα抗体製剤が無効だった症例では、潰瘍性大腸炎の維持療法においても10mg 1日2回に増量が検討されます。ただし、高用量使用時は後述する副作用リスクが高まる点に注意が必要です。
経口剤であるという利便性は、患者のアドヒアランス向上に寄与する重要な特性です。注射による投与が不要であるため、患者の負担軽減という点でメリットがあります。
トファシチニブの使用にあたっては、その臨床効果と同時に特有の副作用プロファイルを十分に理解することが重要です。主な副作用とその対策について解説します。
【感染症リスク】
JAK阻害薬は免疫系に広範に作用するため、感染症リスクの上昇が懸念されます。特に注意すべき感染症としては以下が挙げられます。
対策としては、投与前の感染症スクリーニング(結核、B型・C型肝炎など)、定期的な血液検査によるモニタリング、早期の感染兆候への対応が重要です。特に帯状疱疹リスクに対しては、50歳以上の患者への帯状疱疹ワクチン(シングリックス®)接種を検討すべきでしょう。
【血液学的異常】
定期的な血球数モニタリングが推奨されます。特にリンパ球数が500/mm³未満、好中球数が1,000/mm³未満、ヘモグロビン値が8g/dL未満となった場合は投与中止を検討します。
【肝機能障害】
トランスアミナーゼ上昇などの肝機能障害が報告されています。定期的な肝機能検査が必要です。
【脂質異常症】
総コレステロール、LDLコレステロール、HDLコレステロール、中性脂肪の上昇が見られることがあります。投与開始後4~8週時点での脂質プロファイル評価と、必要に応じた脂質降下療法の導入を検討します。
【その他の副作用】
これらの副作用リスクを最小化するためには、定期的なモニタリングと患者教育が不可欠です。特に感染症の早期兆候について患者に説明し、異常を感じた場合は速やかに受診するよう指導することが重要です。
トファシチニブの使用において特に注目すべき副作用の一つが血栓症リスクです。2019年に米国食品医薬品局(FDA)および日本の厚生労働省から、静脈血栓塞栓症(VTE)に関する重要な安全性情報が発出されました。
【血栓症リスクに関する臨床データ】
心血管系事象のリスク因子を有する50歳以上の関節リウマチ患者を対象とした大規模臨床試験(ORAL Surveillance試験)において、トファシチニブはTNF阻害薬と比較して。
これらの結果を受けて、FDAはトファシチニブの添付文書に静脈血栓塞栓症に関する警告を追加し、厚生労働省も2019年8月に「重大な副作用」として静脈血栓塞栓症を追記しました。
【血栓症リスクが高い患者】
以下の患者では特に注意が必要です。
【血栓症リスク軽減のための対策】
血栓症は重篤な転帰をもたらす可能性があるため、リスク因子を有する患者への投与は慎重に判断する必要があります。特に潰瘍性大腸炎の寛解導入期に用いる高用量(10mg 1日2回)投与時には、血栓症リスクに特に注意を払うべきでしょう。
トファシチニブは既存の生物学的製剤(バイオ製剤)や従来型抗リウマチ薬(csDMARDs)とは異なる作用機序を持つ薬剤ですが、臨床現場では効果と安全性のバランスを考慮した使い分けが重要となります。
【関節リウマチにおける位置づけ】
メタ解析やネットワークメタ解析の結果では、トファシチニブの臨床効果はTNF阻害薬(アダリムマブ、エタネルセプトなど)と同等、または一部の評価項目ではやや優れているとの報告があります。しかし、安全性プロファイルを考慮すると、一般的には以下のような位置づけとなっています。
ただし、日本リウマチ学会のガイドラインでは、MTX無効例における次の選択肢として、TNF阻害薬とJAK阻害薬は並列に位置づけられています。個々の患者の状況(注射を避けたい、併存疾患など)により選択が異なります。
【潰瘍性大腸炎における位置づけ】
潰瘍性大腸炎では、従来治療(5-ASA製剤、免疫調節薬、ステロイドなど)で効果不十分な中等症~重症例に対して使用されます。生物学的製剤との直接比較試験はありませんが、間接比較では以下のような特徴があります。
【実臨床で考慮すべき選択基準】
以下の要因を考慮して最適な薬剤を選択することが推奨されます。
特に、心血管リスク因子を有する50歳以上の患者では、ORAL Surveillance試験の結果から、TNF阻害薬の方が安全性プロファイルで優れている可能性があります。一方、患者が注射を避けたい場合や、TNF阻害薬が無効だった症例ではトファシチニブが貴重な選択肢となります。
最新の米国リウマチ学会ガイドライン(2021年)では、心血管リスクや悪性腫瘍リスクを有する患者ではJAK阻害薬よりもTNF阻害薬が推奨されていますが、日本人では欧米人と比較して心血管イベントリスクが低いため、一概に当てはめることはできないかもしれません。