舌痛症(Glossodynia)は「口腔内灼熱症候群(Burning Mouth Syndrome)」とも呼ばれる病態で、口腔内、特に舌に生じる原因不明の痛みが特徴です。最大の特徴は、口腔内を専門的に診察しても明らかな原因疾患が見つからないにもかかわらず、患者さんが持続的な痛みやヒリヒリ感を訴える点にあります。
国際頭痛分類第3版では、口腔内に明らかな病変がなく、3カ月以上持続する口腔の灼熱感や痛みを「口腔内灼熱症候群」と分類しています。この病態では、局所的、全身的および心理社会的要因が複雑に関与していると考えられています。
日本心身医学会による舌痛症の定義では。
「器質的な変化や検査値の異常(貧血など)は認められないにもかかわらず、舌痛のみを訴える病態」とされています。
舌痛症は決して「気のせい」ではなく、実際に患者さんが感じている痛みです。脳内の痛みを制御する機能のバランスが崩れた状態と考えられており、神経障害性疼痛の一種として捉える見方が近年広まっています。
舌痛症の症状は非常に特徴的で、多くの患者さんが似たような表現で痛みを訴えます。主な症状を詳しく見ていきましょう。
舌痛症の大きな特徴として、症状の強さが時間帯により変動することが挙げられます。
この特徴は、舌痛症の診断において重要な手がかりとなります。通常の口内炎や舌炎では食事中に痛みが増悪することが多いため、この違いは鑑別の一助となります。
舌痛症の診断基準として、1日2時間以上の痛みが3カ月以上続くことが挙げられます。慢性的な経過をたどることが多く、長期にわたって症状が持続することが特徴です。
舌痛症の診断は基本的に「除外診断」となります。つまり、舌の痛みを引き起こす可能性のある他のすべての疾患を除外した上で、舌痛症と診断します。
舌痛症患者さんが歯科を受診した際、精神科や心療内科への紹介を勧められることがあります。これには主に二つの理由があります。
これは「精神的な問題である」ということではなく、身体的症状と精神的要因が相互に影響する「心身医学的アプローチ」の一環として考えるべきものです。
舌痛症は原因不明の疾患であるため、原因療法ではなく対症療法が中心となります。治療の目標は「痛みをゼロにすること」ではなく、「日常生活の中で痛みをうまくコントロールし、生活の質を向上させること」に置かれます。
現在、舌痛症に対して科学的に効果が検証されている薬物療法にはいくつかの選択肢があります。
認知行動療法は舌痛症に対して科学的に有効性が証明されている非薬物療法です。主に以下の手法が用いられます。
研究によると、60分程度の治療を2週に1回、計4回行う短期的な認知行動療法プログラムでも効果が認められています。歯科での通常治療と比較しても優れた効果が確認されているため、治療の選択肢として検討する価値があります。
耳鼻咽喉科領域では、舌痛症に対する星状神経節ブロックの有効性も報告されています。ある研究では、84%の患者に有効以上の結果が得られたとの報告もあります。これは交感神経の遮断により、痛みの伝達経路に影響を与える可能性が考えられています。
薬物療法を開始した場合、適切な薬剤が選択されれば約7割の患者さんが1カ月程度で痛みの軽減を実感します。しかし、症状が改善してもすぐに治療を中止せず、「だいぶ楽になった」と感じる時期からさらに3〜6カ月程度は服用を継続することが推奨されています。
総合的な治療期間としては、少なくとも半年間は必要で、多くの患者さんが1年程度治療を継続しています。適切な治療が継続できれば、7割程度の方に症状改善が期待できる疾患です。
舌痛症と心理的側面の関連性については、多くの研究が行われています。特に精神分析的視点からの研究は、症状の深層にある心理的メカニズムを理解する上で重要な示唆を与えてくれます。
日本心身医学会によれば、舌痛症患者には以下のような特徴が観察されることが多いとされています。
精神分析理論を用いた舌痛症の解釈では、以下のような観点が示されています。
これらの知見を踏まえ、舌痛症の治療においては以下のような心理療法的アプローチも有効と考えられています。
多くの舌痛症患者さんは「どこの病院でもなんともないといわれる」だけでなく、「家族や友達にも理解されなかった」という二重の苦痛を抱えています。症状の見えない痛みに苦しむ患者さんの心理的側面への理解と適切な支援は、総合的な治療において非常に重要な要素です。
舌痛症は慢性的な経過をたどることが多く、患者さん自身による日常生活の工夫と自己管理が症状コントロールに大きく影響します。ここでは、患者さんが日常生活で実践できるセルフケア方法について解説します。
以下のような生活習慣の調整が症状緩和に役立つことがあります。
舌痛症の症状はストレスによって悪化することが多いため、以下のようなストレス管理技法が有効です。
舌痛症の特徴として、「注意の向け方(注意集中)」が症状の強さに影響することが知られています。
この特性を活かし、意識的に注意をコントロールする練習も有効です。
舌痛症は外見上の変化がないため、周囲から理解されにくい疾患です。患者さんの苦痛を理解し、適切なサポートを提供することが重要です。
症状が改善しない場合や悪化した場合は、以下の専門家への相談を検討しましょう。
舌痛症は完全に治癒が難しい場合もありますが、適切な自己管理と専門的治療の組み合わせによって、多くの患者さんが症状のコントロールと生活の質の改善を実現しています。症状に振り回されるのではなく、症状と共存しながら充実した生活を送ることを目指しましょう。