細菌性赤痢は、赤痢菌(Shigella)が大腸粘膜細胞に侵入し増殖することで引き起こされる急性の腸炎です。この感染症は、世界各地に広く分布しており、特に衛生状態の悪い地域で多く発生しています。日本では感染症法において3類感染症に分類されています。
赤痢菌は4つの菌群に分類されます。
各菌群はさらに血清型に細分化されます。中でもA群の志賀赤痢菌は病原性が最も強く、重症例を引き起こす傾向があります。一方、日本で多く見られるD群のソンネ菌は比較的症状が軽いことが特徴です。
感染経路としては、赤痢菌に汚染された水や食物を摂取することで感染する経口感染が主です。赤痢菌の感染力は非常に強く、わずか10〜100個という少量の菌でも感染が成立します。そのため、食器や箸などの共有を介した感染や、赤痢菌が付着した手指を介した二次感染も起こりえます。
日本国内での発生例は、現在ではそのほとんどがアジア地域からの輸入例とされており、海外渡航者の健康管理が重要です。また、赤痢菌は感染者の便中に排出されるため、下水処理が不十分な地域では水系感染が発生するリスクが高まります。
細菌性赤痢の潜伏期間は通常1〜3日(範囲は1〜5日)で、その後に特徴的な症状が現れ始めます。症状の程度は感染した赤痢菌の種類や個人の免疫状態によって異なります。
初期症状としては、悪寒を伴う急激な発熱(38〜39℃程度)と水様性下痢が特徴的です。発熱は通常1〜2日間続き、その後に下痢症状が本格化します。腹部には差し込むような痛みを感じ、頻繁に便意を催すようになります。排便後も不快感が残る「しぶり腹(テネスムス)」も特徴的な症状です。
感染が進行すると、便中に血液、膿、粘液が混じるようになり、典型的な「赤痢」の状態となります。特にA群(志賀赤痢菌)やB群(フレキシネル菌)による感染では、これらの典型的な症状が見られることが多いです。
一方、日本で多く見られるD群(ソンネ菌)による感染では、症状が軽度で、軟便程度の下痢と軽い発熱で経過することが多く、無症状の場合もあります。近年の細菌性赤痢の症例は全体的に軽症化傾向にあります。
小児の場合は、症状が急激に始まることがあり、発熱、易刺激性または強い眠気、食欲不振、吐き気や嘔吐などが見られます。また、小児では脱水症状が急速に進行するリスクが高いため、注意が必要です。
頻回の下痢や嘔吐により体内の水分が急速に失われると、脱水症状を呈します。脱水が進行すると、口渇(のどの渇き)、尿量減少、皮膚の乾燥、体重減少などの症状が現れることがあります。重症例では、血圧低下やショック状態に陥る可能性もあるため、早期の医療介入が必要です。
細菌性赤痢は他の消化器感染症と症状が類似しているため、正確な診断には注意深い鑑別が必要です。特に見分けが重要な疾患としては、アメーバ赤痢、サルモネラ感染症、カンピロバクター腸炎、腸管出血性大腸菌感染症などが挙げられます。
【細菌性赤痢とアメーバ赤痢の違い】
同じ「赤痢」という名前を持ちますが、病原体と病態が異なります。
血便の特徴も異なり、細菌性赤痢では鮮血が混じることが多いのに対し、アメーバ赤痢ではレンガ色の血液が混じることが特徴的です。また、アメーバ赤痢では肝膿瘍などの腸管外合併症を起こすことがあります。
【腸管出血性大腸菌感染症との違い】
腸管出血性大腸菌感染症(O157など)は、血便を主症状とする点で細菌性赤痢と類似していますが、以下の点で異なります。
ただし、志賀赤痢菌の一部は志賀毒素を産生し、HUSを引き起こす可能性があるため注意が必要です。
【サルモネラ感染症やカンピロバクター腸炎との違い】
これらの感染症も発熱と下痢を主症状としますが、以下の点で細菌性赤痢と異なります。
これらの鑑別には、詳細な病歴聴取(渡航歴、食事歴など)、便検査(細菌培養、毒素検査、原虫検査)、血液検査などが重要です。確定診断には便からの赤痢菌の分離・同定が必須となります。
細菌性赤痢の治療は、抗菌薬治療、輸液療法、対症療法の3本柱で行われます。適切な治療により、多くの患者は後遺症なく回復することができます。
【抗菌薬治療】
赤痢菌を排除するための抗菌薬治療は、細菌性赤痢治療の中心となります。主に使用される抗菌薬は以下の通りです。
抗菌薬の選択は、患者の年齢、症状の重症度、薬剤耐性パターンなどを考慮して決定されます。近年、一部地域でフルオロキノロン系抗菌薬への耐性菌が増加しており、薬剤感受性試験の結果に基づいた抗菌薬の選択が重要です。
【輸液療法】
頻回の下痢による脱水状態を改善するため、適切な輸液療法が必要です。
特に小児や高齢者では脱水症状が急速に進行する可能性があるため、早期からの水分・電解質補充が重要です。
【対症療法】
症状を緩和するための対症療法も重要です。
症状 | 治療薬 |
---|---|
腹痛 | 鎮痛薬(アセトアミノフェンなど) |
発熱 | 解熱薬(アセトアミノフェンなど) |
腸内環境改善 | 乳酸菌、ビフィズス菌などの生菌整腸薬 |
ただし、強力な止瀉薬(ロペラミドなど)は使用を避けるべきです。これらは腸管の蠕動運動を抑制し、菌の排出を遅らせる可能性があります。
また、治療期間中は安静にし、消化の良い食事を少量ずつ摂取することが推奨されます。症状の改善が見られてからも、完全な治癒と菌の排除を確認するために、医師の指示に従って定期的な便検査を受けることが重要です。
なお、細菌性赤痢は感染症法に基づく3類感染症に指定されており、診断した医師は直ちに最寄りの保健所に届け出る義務があります。また、食品取扱者などの特定職種の患者は、便検査で菌が検出されなくなるまで就業制限が課されます。
細菌性赤痢は適切な予防対策によって感染リスクを大幅に減らすことができます。特に衛生状態の悪い地域への旅行者や、集団生活を送る人々には、以下の予防策が重要です。
【日常生活での予防策】
【海外旅行での注意点】
細菌性赤痢は特にアジア、アフリカ、中南米などの発展途上国で流行しています。これらの地域への旅行者は以下の点に注意しましょう。
【集団発生の予防】
学校や施設などでの集団発生を防ぐためには、以下の対策が重要です。
現在のところ、細菌性赤痢に対するワクチンは実用化されていません。そのため、上記のような予防対策が感染予防の中心となります。特に、赤痢菌が少量でも感染を起こすことを念頭に置き、徹底した衛生管理を心がけることが大切です。
患者や保菌者との接触があった場合は、潜伏期間(1〜3日)を考慮して健康状態を注意深く観察し、疑わしい症状があれば早期に医療機関を受診することをお勧めします。