フェノキシベンザミンは日本では「血圧管理薬」として承認されていないのに、手術室で命を救う薬として使われてきた歴史があります。
フェノキシベンザミン(phenoxybenzamine)は、α1・α2アドレナリン受容体の両方に不可逆的に結合する非選択的α遮断薬です。 この「不可逆的結合」という性質が最大の特徴で、一度結合すると受容体が新たに合成されるまで遮断状態が続きます。
褐色細胞腫(pheochromocytoma)は副腎髄質や交感神経節に発生する腫瘍で、エピネフリンやノルエピネフリンといったカテコールアミンを過剰分泌します。 手術中に腫瘍を触ると大量のカテコールアミンが血中に放出され、急激な血圧上昇が起きるため、事前にα受容体を遮断しておくことが非常に重要です。
参考)褐色細胞腫・パラガングリオーマ(PPGL: Pheochro…
フェノキシベンザミンはα受容体を遮断することで血管拡張を促し、末梢血管抵抗を低下させます。 循環血漿量の減少を是正し、腫瘍摘出後の急激な血圧低下(循環血液量減少性ショック)リスクを大幅に下げられます。つまり術前・術中・術後すべての安全性に直結する薬剤です。
1960年代に経口の非選択的α遮断剤であるフェノキシベンザミンが臨床導入されたことで、PPGLの周術期死亡率は劇的に低下しました。 それ以前、術前準備が不十分だった時代の周術期手術死亡率は約25%にも達していましたが、現在は0.5%まで改善しています。
| 時代・薬剤 | 周術期手術死亡率 | 備考 |
|---|---|---|
| 術前管理なし(1960年代以前) | 約25% | 急激な血圧変動に対応困難 |
| フェノキシベンザミン導入後 | 大幅低下 | 1960年代〜、経口非選択的α遮断薬 |
| 選択的α1遮断薬普及後(2020年) | 0.5% | ドキサゾシン等が主流に |
フェノキシベンザミンは、欧米では「血圧管理薬」として承認されていますが、日本では同じ適応での承認がありません。 これは日本の医療現場で長年の課題となっています。
参考)https://www.mhlw.go.jp/topics/2012/03/dl/youbousyo-300.pdf
意外ですね。
日本では適応外使用として活用されてきた歴史がある一方、2018年に発行された日本のPPGL(褐色細胞腫・パラガングリオーマ)診療ガイドラインでは、選択的α1遮断薬であるドキサゾシン(カルデナリン®)を推奨薬として位置付けています。 1日1回の内服で管理できるドキサゾシンの利便性が、処方現場での支持を集めています。
フェノキシベンザミンの非選択的α遮断特性は、反射性頻脈などの副作用をドキサゾシンより起こしやすいとされています。 ドキサゾシンはα1受容体のみを選択的に遮断するため、α2受容体を介した心拍数抑制が保たれる点でも優れています。日本の内分泌外科の現場では、フェノキシベンザミンからドキサゾシンへの移行が定着しています。
参考)ドキサゾシンメシル(カルデナリン) – 内分泌疾…
褐色細胞腫・パラガングリオーマにおけるα遮断薬の役割と術前管理の概要(神戸・岸田クリニック 内分泌疾患解説ページ)
名古屋大学医学部附属病院での126例のPPGL手術症例をみると、ドキサゾシンの術前投与期間は0〜303日(中央値73日)でした。 最終投与量の目標は16mg/dayとされており、1mg/dayから開始して約2カ月かけて緩やかに増量するプロトコルが採用されています。
緩やかな増量が原則です。
ドキサゾシン投与中は水分・塩分の十分な経口摂取が重要です。 血管拡張により循環血漿量の需要が増すため、水分・塩分が不足するとめまい(起立性低血圧)が生じやすくなります。たちくらみが頻発する場合は水分・塩分不足のサインと捉え、摂取量を増やすよう患者に自己調整してもらう対応が有効です。
フェノキシベンザミンを使用していた時代も含め、無症候性または非機能性のPPGLに対しても術前α遮断薬を省略すべきではありません。 「症状がないから安全」という判断は危険で、過去のデータでは術前管理が行われなかった症例の約8%が周術期手術死亡に至ったという報告があります。これは臨床の場で見落としやすいポイントです。
悪性褐色細胞腫(転移性・手術不能例)の化学療法では、CVDレジメン(シクロホスファミド+ビンクリスチン+ダカルバジン)が最も実績のあるレジメンです。 このCVDレジメン施行前には、フェノキシベンザミンを含むα遮断薬の投与が必須とされています。
参考)がん情報サイト
なぜなら、化学療法で腫瘍が崩壊するとカテコールアミンが大量に血中に放出され、高血圧クリーゼを引き起こすリスクがあるためです。 Averbuch SDらの報告では、CVDレジメン施行前にフェノキシベンザミンが投与され、さらにβ受容体遮断薬(プロプラノロールまたはアテノロール)を併用して血圧を正常範囲に維持しています。
CVDレジメンの奏効率(CR+PR)は57〜79%と報告されていますが、効果の持続は1〜2年間程度であり、完全根治には至りません。 日本では2020年の受診患者数が年間320例程度と極めて希少な疾患であるため、α遮断薬による前処置の重要性を理解している医師が少ない施設もある点に注意が必要です。
悪性褐色細胞腫に対するCVDレジメンとフェノキシベンザミンの位置付け(NCI-PDQ 日本語版・神戸先端医療センター)
褐色細胞腫はエピネフリン優位型とノルエピネフリン優位型に大別されます。 この違いが、術後の低血糖リスクを大きく左右するという点は、臨床現場でしばしば見落とされがちです。
エピネフリンはα受容体とβ受容体の両方に作用しますが、ノルエピネフリンはα受容体のみに作用します。 そのため、エピネフリン優位型の腫瘍を摘出後は、β受容体刺激が解除されることで糖新生低下・グルカゴン分泌低下・インスリン感受性亢進が起きて、術後低血糖発作のリスクが高まります。ノルエピネフリン優位型ではこのリスクは低いです。
フェノキシベンザミンやドキサゾシンによるα遮断薬投与中は、この腫瘍タイプも考慮して術後管理を組み立てる必要があります。エピネフリン優位型の場合は術当日夜から4時間毎の血糖測定を行い、低血糖発作を予防することが実践的なアプローチです。
なお、フェノキシベンザミンは半減期が長く不可逆的結合であるため、術後の低血圧が遷延しやすいという特性があります。 ドキサゾシンでも同様のリスクはありますが、ドキサゾシンを30日以上の長期投与を行った場合、術中徐脈・術後低血圧が促進される可能性が報告されています。 「長く投与すれば安心」という思い込みが、逆に周術期リスクを高めることがある点は要注意です。bibgraph.hpcr+1
ドキサゾシンの長期術前投与(30日以上)が術中徐脈・術後低血圧を促進する可能性を示した論文(Bibgraph 日本語抄録)