ビンクリスチンとビンブラスチンは、いずれもニチニチソウ(学名:Catharanthus roseus)から抽出されるビンカアルカロイド系抗がん剤ですが、化学構造に明確な違いがあります。両薬剤の基本骨格はほぼ同一で、分子式C46H58N4O9を共有していますが、ビンクリスチンは窒素原子にホルミル基(-CHO)が結合しているのに対し、ビンブラスチンはメチル基(-CH3)が結合している点で異なります。
参考)ビンカアルカロイド - Wikipedia
この構造的差異は、カサランチンとビンドリンという単量体前駆体のカップリング反応により生じます。ビンクリスチンの生合成では、N-デメチルビンドリンとカサランチンをカップリングさせてN-デメチルビンブラスチンを生成し、これをギ酸で処理することでビンクリスチンに変換します。分子量はビンクリスチンが824.958 g/mol、ビンブラスチンが810.97 g/molとわずかに異なり、硫酸塩としての分子量はビンブラスチン硫酸塩が909.05となります。
参考)ビンクリスチン - Wikipedia
この微細な構造の違いが、後述する薬理作用や副作用プロファイルの大きな差異を生み出す要因となっています。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/c98b423c89d7bd2d236a8878b54b3489b19bc1fb
ビンクリスチンはチューブリン二量体に結合し、微小管の重合を阻害することで有糸分裂をM期で停止させる細胞周期特異的抗がん剤です。微小管はαチューブリンとβチューブリンが重合して形成されますが、ビンクリスチンはこの重合過程を直接阻害します。この作用により、細胞分裂が活発ながん細胞の増殖を抑制し、細胞死を誘導します。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/faruawpsj/55/10/55_954/_pdf/-char/ja
ビンクリスチンの最も重要な特徴は、用量規制因子が神経毒性である点です。末梢神経障害は総投与量が5~6mgで出現し始め、15~20mgで重症化する可能性があります。臨床的には、投与後2か月以内に異常感覚で発症し、上肢症状が下肢より先行する特徴があります。
参考)医療用医薬品 : オンコビン (オンコビン注射用1mg)
主な神経系副作用には以下があります。
参考)神経毒性
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/96/8/96_1591/_pdf
参考)https://vet.cygni.co.jp/include_html/drug_pdf/syuyou/EK3001-01.pdf
神経毒性の発現機序として、微小管形成阻害により神経伝達物質が軸索を通って輸送されるのを妨げるメカニズムが考えられています。一方、骨髄抑制作用は比較的軽度であり、白血球減少や血小板減少は他のビンカアルカロイドに比べて起こりにくい特徴があります。
参考)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00047968.pdf
ビンクリスチンの神経毒性に関する研究論文。
Local production of reactive oxygen species drives vincristine-induced axon degeneration
この論文では、ビンクリスチン誘発性神経毒性の新規メカニズムとして、局所的な活性酸素種(ROS)産生が軸索変性を引き起こすことが明らかにされています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10709426/
ビンブラスチンもビンクリスチンと同様に、βチューブリンに結合して微小管の重合を阻害し、紡錘体形成を妨げることで有糸分裂を停止させます。微小管脱重合作用により細胞分裂を抑制する点では作用機序が共通していますが、副作用プロファイルには顕著な違いがあります。
参考)がん化学療法入門(1)
ビンブラスチンの最も重要な特徴は、用量規制因子が骨髄抑制である点です。白血球減少が最も頻繁に見られ、血小板減少、貧血も発生します。骨髄抑制は用量依存性で、高度な骨髄抑制により致命的な感染症(敗血症、肺炎等)や臓器出血に至る可能性があります。
参考)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00047966.pdf
主な副作用プロファイルは以下の通りです。
ビンブラスチンでも末梢神経障害は起こりますが、ビンクリスチンと比較して発現頻度と重症度は明らかに低くなっています。猫の獣医学領域では、ビンクリスチン投与後に機能性イレウスによる食欲不振や嘔吐を繰り返す場合、ビンブラスチンに変更することで重度な胃腸障害を回避できることが報告されています。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/830b62e47be6cbd638c32f57cc5f687f21b134d0
骨髄抑制の管理として、頻回の血液検査が必須であり、高度な骨髄抑制による感染症・出血傾向の発現または増悪に十分な注意が必要です。肝機能障害患者では、血清中直接ビリルビン値が3 mg/100 mLを示す場合、ビンブラスチンの用量を50%減量することが推奨されます。
参考)https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000ti7f-att/2r9852000000tifm.pdf
ビンクリスチンとビンブラスチンは、同じビンカアルカロイド系でありながら、適応症に明確な違いがあります。
参考)オンコビン(ビンクリスチン)
ビンクリスチンの主な適応症:
参考)https://clinicalsup.jp/jpoc/drugdetails.aspx?code=47968
ビンブラスチンの主な適応症:
参考)ABVD療法
特に、ビンクリスチンは急性白血病の寛解導入療法や小児腫瘍の治療において中心的役割を果たし、R-CHOP療法(リツキシマブ+シクロホスファミド+ドキソルビシン+ビンクリスチン+プレドニゾロン)などの併用療法で広く使用されます。一方、ビンブラスチンはホジキン病に対するABVD療法(ドキソルビシン+ブレオマイシン+ビンブラスチン+ダカルバジン)の主要構成薬剤として重要です。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/88172b2dcc665cbf1e766c7676df1e5140a30623
用法・用量にも違いがあり、ビンクリスチンは通常1回0.5~1.4mg/m²(体表面積)を週1回静脈内投与し、1回最大投与量は2mgとされます。ビンブラスチンの初回用量は、悪性リンパ腫単剤療法で6.5 mg/m²、ホジキン病併用療法で6 mg/m²、精巣胚細胞腫瘍併用療法で3 mg/m²と報告されています。
参考)https://www.pmda.go.jp/drugs/2005/g050206/02/53019100_21300AMY00373_B100_1.pdf
両薬剤の臨床使用において、医療従事者が特に注意すべき点がいくつかあります。
参考)https://www.intmedsafe.net/wp-content/uploads/2023/02/Seger-A-Updated-vinca-warning-02.15.2023-Japanese.pdf
重大な医療事故のリスク
ビンクリスチン(および他のビンカアルカロイド)の最も重大なリスクは、髄腔内投与の誤投与です。1968年以来、世界で140回以上の誤投与が報告されており、髄腔内に投与されるとほぼ確実に呼吸障害、脳・脊髄機能障害、死亡に至ります。メトトレキサートやシタラビンなどの髄腔内投与薬とシリンジを取り違えるエラーが致死的であるため、ビンカアルカロイドは必ずミニバッグにより投与すべきとされています。
過去の事例として、2019年ガイアナで3名の小児患者が誤ってビンクリスチンを髄腔内投与され全員死亡、2017年ノルウェーで6歳男児がオンマイヤーリザーバーからビンクリスチンを投与され22日後に死亡した報告があります。日本でも2000年に16歳の患者が過剰投与により亡くなった事例が報告されています。
参考)ビンクリスチン硫酸塩(オンコビンhref="https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.15106/j_kango25_564" target="_blank">https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.15106/j_kango25_564lt;suphref="https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.15106/j_kango25_564" target="_blank">https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.15106/j_kango25_564gt;®href="https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.15106/j_kango25_564" target="_blank">https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.15106/j_kango25_564lt;/suphref="https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.15106/j_kango25_564" target="_blank">https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.15106/j_kango25_564gt;) …
薬物相互作用
ビンカアルカロイドは肝臓のチトクロームP-450(CYP3A4)で代謝されるため、CYP3A4を阻害する薬剤との併用で神経系副作用が増強される可能性があります。併用注意薬剤として以下が挙げられます:
参考)https://pins.japic.or.jp/pdf/newPINS/00057976.pdf
特に、R-CHOP療法においてビンクリスチンとアゾール系抗真菌薬を併用する場合、早期末梢神経障害の発現リスクが高まることが報告されています。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/6cae83559acd976fd0e45af36a1e4db32c14b3b3
投与時の注意事項
ビンクリスチンは血管外漏出により組織壊死を起こす可能性があるため、静脈内投与時には確実な血管確保が必要です。硫酸ビンクリスチンの投与法変更により注射部位反応(静脈炎)を軽減できることも報告されています。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/3f10f603595993655e4881bc0be50670484b53e4
肝機能障害患者では、総ビリルビンが1.5 mg/dL以上の場合、ビンクリスチンの用量を50%程度減量するか代替薬を使用することが推奨されます。胆汁排泄障害が改善した後は、通常量に戻すことが可能です。
参考)https://www.jstage.jst.go.jp/article/dobutsurinshoigaku/28/4/28_125/_pdf
ビンクリスチンとビンブラスチンは同じビンカアルカロイド系でありながら、投与後の薬物動態と組織分布の違いが臨床効果の差異に影響していると考えられます。
両薬剤はビンカ属植物から抽出される70種以上のアルカロイドの一部であり、1950年代の研究で発見されました。当初は糖尿病治療への応用が試みられましたが、白血病マウスの研究で骨髄抑制作用と生存期間延長効果が判明し、抗がん剤としての開発が進められました。
近年の研究では、リポソーム製剤や免疫リポソーム製剤の開発により、ビンクリスチンとビンブラスチンの安定性と標的送達性が向上しています。特に、トリエチルアンモニウムスクロースオクタサルフェートを用いたリポソーム内封入技術により、薬物の血中安定性が大幅に改善され、in vivoでの薬物放出速度を制御できるようになりました。抗HER2抗体を結合させた免疫リポソーム製剤は、HER2陽性腫瘍細胞への選択的な細胞毒性と腫瘍縮小効果を示しています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2717390/
また、ビンクリスチンの神経毒性メカニズムに関する最新研究では、局所的な活性酸素種(ROS)産生が軸索変性を引き起こすことが明らかになっており、モルシドミンなどの可溶性グアニル酸シクラーゼ活性化剤が神経保護効果を示すことが報告されています。さらに、ニモジピンとの併用により、神経細胞を保護しながら腫瘍細胞に対する感受性を高める可能性も示唆されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11336221/
全合成技術の進歩により、ビンブラスチンのC16'位メチルエステルを他の置換基(エチルエステル、シアノ基、アルデヒド、ヒドロキシメチル基、カルボキサミド等)に変更した類縁体が合成されましたが、いずれも細胞毒性活性が10~1000倍以上低下することが判明しました。このことから、C16'メチルエステルが天然産物の生物活性発現に独自の重要な役割を果たしていることが確認されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2957881/
これらの知見は、ビンカアルカロイドの構造-活性相関を理解し、より効果的で副作用の少ない次世代抗がん剤の開発に寄与すると期待されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4363169/