機能性発声障害が治らない最大の要因の一つは、誤った発声パターンの運動学習が固定化されることです。大阪大学医学部附属病院での90名の患者データによると、習慣的な音声酷使が42例と最多を占め、これらの症例では発症前から長期間にわたって不適切な発声方法を継続していました。
神経科学的観点から見ると、発声は複雑な運動制御システムであり、以下のプロセスで学習されます。
特に注目すべきは、声帯結節の手術後に機能性発声障害を発症するケースです。これは声帯結節がある状態での発声パターンが長期間学習され、結節除去後も同様の発声を継続してしまうためです。
治療抵抗性を示す症例では、持続母音発声は改善するものの、会話声は非流暢なままに留まり、治療期間が年単位にわたることが報告されています。これは運動学習の階層性を示しており、単純な発声課題よりも複雑な会話場面での発声制御の方が、より高次の神経回路の再構築を必要とするためです。
機能性発声障害が治らない症例において、心理的要因は単なる誘因ではなく、病態維持の中核的役割を果たしています。
心因性失声症では、激しい情動ストレスを受けて発症する場合が多く、特に十代の若年者に多く見られます。重要なのは、訓練で声が出るようになっても、ストレス環境に戻ると失声や他の症状(視覚・聴覚障害など)が再発することです。これは「ヒステリー性失声」とも呼ばれ、心理的防御機制として症状が維持される可能性を示唆しています。
英国での研究では、機能性発声障害患者において音声治療は声の改善をもたらすものの、併存する不安や抑うつなどの心理症状は改善しないことが明らかになっています。このため、認知行動療法を組み合わせた複合的治療アプローチの有効性が検討されており、単純な音声訓練だけでは限界があることが示されています。
新型コロナウイルス感染症後の発声障害では、咽頭・喉頭の炎症が治癒した後も声が出にくい症状が持続することがあります。これは声を使用しなかったことによる声帯萎縮と、痛みへの恐怖による心因性の発声障害が複合的に作用するためです。
心理的要因が関与する症例では、以下の特徴が見られます。
機能性発声障害の多くは過緊張タイプ(Hyperfunctional dysphonia)であり、このタイプは特に治療抵抗性を示すことが知られています。
過緊張型では、発声時に仮声帯が中央に寄り、喉頭蓋喉頭面と披裂部の距離が短縮します。声門も強く閉じており、披裂喉頭蓋筋から内喉頭筋群に至る複数の筋群が過緊張状態にあると考えられています。この状態では声門抵抗が上昇し、声帯振動を得るための声門下圧も増大します。
筋緊張パターンの複雑性が治療を困難にする主な要因です。
音声治療において、ハミングやリップロールなどの間接的アプローチが用いられますが、過緊張の強い症例ではこれらの技法でも十分な効果が得られない場合があります。
仮声帯発声を呈する重度の過緊張型では、ファイバースコープを用いたvisual feedbackや喉頭粘膜表面麻酔下での仮声帯過内転抑制法などの特殊な技法が必要となります。しかし、これらの治療法も全ての症例で効果的というわけではありません。
従来の音声治療は言語聴覚士による音声訓練が第一選択とされていますが、単独の職種による治療では限界があることが明らかになっています。
言語聴覚士による音声治療の限界。
近年、複合的アプローチの有効性が注目されています。これは体・心・記憶という3つの層に同時に働きかける治療法で、以下の要素を含みます。
実際の症例報告では、従来の音声治療で改善しなかった機能性発声障害患者が、鍼灸治療を併用したボイストレーニングにより半年間で改善したケースが報告されています。この症例では「頑張らない発声」の概念と身体の施術を組み合わせることで、発症前より良好な声質を獲得できました。
機能性発声障害の治療において、神経可塑性の個人差が治療結果に大きく影響することが最近の研究で明らかになっています。これは従来あまり注目されてこなかった独自の視点です。
神経可塑性とは、脳神経系が環境や経験に応じて構造や機能を変化させる能力のことです。発声制御においては、大脳皮質運動野から延髄の発声運動核群に至る神経回路の再編成が重要な役割を果たします。
年齢による神経可塑性の違い。
遺伝的要因の関与も注目されています。機能性発声障害の発症には遺伝的素因が関与する可能性があり、家族歴のある患者では治療抵抗性を示すことがあります。これは発声制御に関わる神経伝達物質の受容体や、筋線維の特性に遺伝的変異が影響している可能性を示唆しています。
発症から治療開始までの期間も重要な予後因子です。
慢性化した症例では、誤った発声パターンが長期記憶として固着し、正常な発声パターンの再学習を阻害します。このため、早期診断・早期治療の重要性が強調されています。
機能性発声障害における治療の個別化が今後の課題となっており、患者の年齢、発症からの期間、心理的要因、遺伝的背景などを総合的に評価したprecision medicineの概念が音声医学分野でも注目されています。
京都大学医学部の最新研究では、機能訓練と音声専門医・言語聴覚士の詳細な問診に加えて
機能性発声障害の詳細な症状分類と治療アプローチについての専門的解説
国立病院機構東京医療センターによる機能性発声障害の病態メカニズムに関する詳細な医学的解説
機能性発声障害の診断基準と音声訓練の具体的方法
音声医学における最新の治療方針についてのガイドライン
機能性発声障害の分類と治療指針に関する日本音声言語医学会の見解