橋本病は、甲状腺に慢性的な炎症が起こる自己免疫疾患で、慢性甲状腺炎とも呼ばれています。この疾患では、体の免疫システムが異常をきたし、自己抗体(抗サイログロブリン抗体TgAbや抗甲状腺ペルオキシダーゼ抗体TPOAb)が産生され、これらが甲状腺組織を攻撃します。この攻撃によって、甲状腺は徐々に破壊され、甲状腺ホルモンの産生能力が低下していくのです。
橋本病は特に女性に多く見られる疾患で、統計によると女性の10人に1人、男性の40人に1人が発症するとされています。若年から高齢まで幅広い年齢層で発症する可能性がありますが、特に中年女性に多いことが知られています。
橋本病の特徴的な点は、すべての患者さんが甲状腺機能低下症を発症するわけではないということです。実際には、橋本病と診断された方のうち約20〜40%の方のみが甲状腺機能低下症を発症します。残りの方々は甲状腺機能が正常な状態で経過することが多く、定期的な検査による経過観察が中心となります。
橋本病の原因については、遺伝的な要因や環境因子が複合的に関わっていると考えられていますが、完全には解明されていません。家族内発症が見られることから、遺伝的な素因が存在することは間違いないでしょう。また、過度なストレスや感染症、放射線被曝なども発症のトリガーになることがあります。
橋本病の症状は、甲状腺の状態によって大きく二つに分けられます。一つは甲状腺腫大による症状、もう一つは甲状腺機能低下による症状です。
まず、甲状腺腫大による症状としては、以下のようなものが挙げられます。
しかし、多くの患者さんでは甲状腺が腫大しても、特に自覚症状がないことも少なくありません。甲状腺腫大の程度は個人差が大きく、触診で分かる程度の軽度なものから、目視でも明らかな大きさのものまでさまざまです。
次に、甲状腺機能低下による症状は、甲状腺ホルモンの不足によって全身の代謝が低下することから生じます。主な症状には以下のようなものがあります。
【全身症状】
【精神・神経症状】
【皮膚・被毛症状】
【循環器症状】
【消化器症状】
【生殖器症状】
これらの症状は、甲状腺機能低下の程度によって異なり、軽度の機能低下では無症状のことも少なくありません。また、症状の出現は通常緩徐で、患者さん自身が気づかないうちに進行していることもあります。そのため、定期的な検査による早期発見が重要となります。
また、橋本病は他の自己免疫疾患を併発することがあります。特に1型糖尿病、悪性貧血、セリアック病、アジソン病、関節リウマチなどとの合併が知られています。このような自己免疫疾患クラスターの可能性も念頭に置いた診療が求められます。
橋本病の診断は、主に臨床症状、身体所見、血液検査、画像診断を組み合わせて行われます。以下に主な診断方法を詳しく解説します。
【血液検査】
橋本病の診断において最も重要な検査は血液検査です。特に以下の項目が重要となります。
以下に検査値の解釈の目安を示します。
検査項目 | 橋本病(正常機能) | 橋本病(機能低下) | 参考基準値 |
---|---|---|---|
TSH | 正常 | 上昇 | 0.5-5.0 μIU/mL |
FT4 | 正常 | 低下 | 0.9-1.7 ng/dL |
FT3 | 正常 | 低下または正常 | 2.3-4.0 pg/mL |
抗TPO抗体 | 陽性 | 陽性 | <16 IU/mL |
抗Tg抗体 | 陽性または陰性 | 陽性または陰性 | <28 IU/mL |
橋本病患者の約70〜80%は甲状腺機能が正常範囲内ですが、定期的な検査でTSH値が上昇してくると、甲状腺機能低下症へ移行する可能性が高まります。
【画像診断】
超音波検査(エコー)は、甲状腺の形態学的変化を評価する上で非常に有用です。橋本病の特徴的な所見として。
これらの所見が認められます。超音波検査は非侵襲的で繰り返し実施できるため、経過観察にも適しています。
【鑑別診断】
橋本病の診断にあたっては、以下の疾患との鑑別が重要です。
特に無痛性甲状腺炎は橋本病を背景として発症することが多く、一時的な甲状腺中毒症状(動悸、発汗、体重減少など)を呈した後、一過性の甲状腺機能低下を経て、通常は自然回復します。
診断が確定したら、今後の治療方針を決めるために、甲状腺機能の程度、甲状腺腫大の程度、自覚症状の有無などを総合的に評価することが重要です。
橋本病の治療は、甲状腺機能の状態に応じて異なります。基本的な治療方針を解説します。
【甲状腺機能正常の場合】
甲状腺機能が正常であれば、原則として薬物治療は必要ありません。定期的な検査(通常6ヶ月〜1年ごと)によって甲状腺機能を評価し、機能低下の兆候がないかを確認します。この段階では、以下のことが重要です。
甲状腺腫が非常に大きく、圧迫症状がある場合には、甲状腺ホルモン剤の投与によって甲状腺腫を縮小させることを検討することもあります。ただし、この適応は限定的です。
【甲状腺機能低下症の場合】
甲状腺機能低下症を伴う橋本病の治療は、不足している甲状腺ホルモンを補充することが基本となります。主な治療薬は合成T4製剤(レボチロキシン、商品名:チラーヂンS®)です。
治療のポイントは以下の通りです。
治療効果の評価では、TSH値が最も鋭敏な指標となります。適切な治療により、TSHは通常0.5〜4.0μIU/mL程度の正常範囲内に維持されることが目標となります。
代替療法として天然甲状腺エキス(動物由来)を使用することもありますが、ホルモン含有量にばらつきがあるため、合成T4製剤の使用が標準的です。
【治療効果と経過】
適切な甲状腺ホルモン補充療法により、多くの患者さんでは症状の改善が期待できます。症状の改善時期には個人差がありますが、一般的には。
注意すべき点として、甲状腺ホルモン補充療法により橋本病そのものが治癒するわけではなく、自己抗体は陽性のままであることが多いです。治療は基本的に生涯続けることになりますが、稀に一過性の甲状腺機能低下の場合もあるため、特に若年者では経過観察中に治療中止を試みることもあります。
なお、橋本病患者における甲状腺癌のリスクは若干高まるという報告もあるため、定期的な超音波検査による経過観察も重要です。
日本甲状腺学会による橋本病診療ガイドラインの詳細情報はこちら
橋本病患者の食事療法については、特に「ヨウ素」の摂取量に注意が必要です。ヨウ素は甲状腺ホルモンの主要な構成成分ですが、過剰摂取も不足も甲状腺機能に悪影響を及ぼすことがあります。
【ヨウ素摂取に関する注意点】
橋本病患者では、適正なヨウ素摂取が重要です。日本人の平均的なヨウ素摂取量は約1〜3mg/日と世界的に見ても多く、これは海藻類の摂取が多いことが主な要因です。橋本病では以下のような点に注意が必要です。
一方で、ヨウ素の極端な制限は推奨されていません。甲状腺ホルモン合成に必要な量は確保する必要があります。
【栄養バランスと食品選択】
橋本病患者の食事では、全体的な栄養バランスも重要です。
【甲状腺機能低下症を考慮した食事の工夫】
甲状腺機能低下症状がある場合は、以下のような食事の工夫も役立ちます。
【食事記録の活用】
食事と症状の関連を把握するために、食事記録をつけることも有効です。特に症状の変化と食事内容の関連性を観察することで、個人に合った食事管理が可能になります。
重要なのは、極端な食事制限ではなく、バランスの取れた食事を継続することです。専門的な栄養指導が必要な場合は、管理栄養士との連携も検討しましょう。
橋本病の女性患者にとって、妊娠・出産は特別な管理が必要となる重要なライフイベントです。適切な管理により、健康な妊娠と出産を達成することは十分に可能ですが、いくつかの重要な注意点があります。
【妊娠前の準備と管理】
【妊娠中の管理】
【胎児への影響と対策】
【出産後の管理】
【長期的な家族計画】
橋本病患者の長期的な家族計画においては、以下の点も考慮すべきです。
橋本病患者の妊娠管理は、内分泌内科医と産科医の緊密な連携が理想的です。適切な管理により、橋本病患者も健康な妊娠と出産を経験することができます。