食欲が出るほど、かえって心臓が危険になることがあります。
アナモレリン(商品名:エドルミズ®錠50mg)は、グレリン受容体であるGHS-R1a(成長ホルモン放出促進因子受容体タイプ1a)に選択的に結合する「グレリン様作用薬」です。2021年1月に日本で製造販売承認を受け、世界初のがん悪液質治療薬となりました。
グレリンとは何かをまず整理しましょう。グレリンは主に胃から分泌されるペプチドホルモンで、日本人研究者(久留米大学・児島将康客員教授ら)によって発見されたことでも知られています。成長ホルモンの分泌促進、食欲の亢進、体温の調節に関わることから「エネルギー貯蓄ホルモン」とも呼ばれる重要な物質です。
アナモレリンはこのグレリンと同様にGHS-R1aへ結合しますが、重要なのはその結合の経路と強さです。GHS-R1aは視床下部・下垂体・胃など多くの組織に分布しており、下垂体での活性化によって成長ホルモン(GH)が放出されます。GHはさらにIGF-1(インスリン様成長因子-1)の産生を促し、筋タンパク合成を間接的に後押しします。つまり、GH分泌が鍵です。
一方で、GHS-R1aが視床下部の弓状核に存在するNPY/AgRP(ニューロペプチドY/アグーチ関連ペプチド)ニューロンを活性化すると、食欲が増進します。アナモレリンはこの2つの経路を同時に刺激することで、体重と筋肉量の両方を維持・増加させることをねらった薬剤です。
まとめると、GHS-R1a活性化→GH分泌促進+NPY/AgRPニューロン活性化→食欲亢進・筋合成促進→体重・筋肉量増加、という流れが基本機序です。
がん患者が栄養を取れなくなる「がん悪液質」の状態では、正常細胞への栄養が慢性的に奪われて骨格筋の減少が進行します。この病態に対して食欲を高めながらGHを介して筋合成を促進するという、2方向からの介入が可能なのがアナモレリンの特徴です。
参考:小野薬品工業 医療関係者向け情報サイト(エドルミズ作用機序)
https://www.ononavi1717.jp/products/adlumiz/action
2025年1月20日、Nature Structural & Molecular Biology誌に掲載された国際共同研究(久留米大学・大阪大学・京都大学など)が、アナモレリンについて驚くべき事実を明らかにしました。アナモレリンはGHS-R1aに対して、内因性リガンドであるグレリン自体よりも強力に作用する「スーパーアゴニスト」であることが初めて科学的に実証されたのです。
これは意外ですね。
もともと「グレリンの模倣薬」として開発されたアナモレリンが、実際にはグレリンを超える受容体活性を持っていたということです。研究チームはクライオ電子顕微鏡単粒子解析法(Cryo-EM)を用いてアナモレリンが結合した状態のGHS-R1a-Gタンパク質複合体の立体構造を2.9Å(オングストローム)という高分解能で決定。受容体の細胞内領域の構造を比較すると、グレリン結合時とアナモレリン結合時で顕著な違いが生じており、これがスーパーアゴニスト活性の根拠とみられています。
スーパーアゴニストとしての活性は、Gタンパク質シグナルだけでなく、βアレスチンシグナルでも確認されました。ここが重要な点です。βアレスチンシグナルは薬効を減衰させる方向に働く経路とされており、アナモレリンがこの経路も強力に活性化してしまうことが、筋力増加効果が期待ほど得られない原因の一つと研究チームは推察しています。
実際に、アナモレリンは欧米では未承認です。その主な理由が「握力(筋力)の改善効果が示せなかった」ことで、EMA(欧州医薬品庁)は承認を拒否しています。日本国内の承認においても、当初は「除脂肪体重の増加」と「握力の改善」の2つをco-primary endpointとして設定していたにもかかわらず、握力改善の効果を統計的に証明できず、審議が2019年から継続審議となっていた経緯があります。体重は増えても握力は変わりにくい、という現象の一端が、βアレスチンシグナルの過剰活性化にある可能性が示された形です。
この発見は、次世代のがん悪液質治療薬を設計するうえで重要な分子基盤を提供するものとして評価されています。βアレスチンシグナルだけを選択的に弱めた改良型のグレリン受容体作動薬が開発できれば、体重増加だけでなく筋力増強まで実現できる可能性があります。
参考:大阪大学研究成果報告(2025年1月21日)アナモレリン結合グレリン受容体構造解明
アナモレリンによる食欲亢進の経路を、もう少し具体的に追ってみましょう。GHS-R1aが胃で活性化されると、迷走神経を通じて視床下部の弓状核にシグナルが伝わります。弓状核ではGHRH(成長ホルモン放出ホルモン)ニューロンとNPY/AgRPニューロンの2つが活性化され、前者は下垂体からのGH分泌を増加させ、後者は食欲を直接高める作用を持ちます。これが食欲亢進経路の基本です。
がん悪液質では、進行がん患者の約80%に食欲低下・体重減少・筋力低下が見られるとされています。正常な状態であればグレリンが食欲を刺激するはずですが、がん細胞が産生するサイトカイン(TNF-αやIL-6など)の慢性炎症が代謝異常を引き起こし、グレリンによる通常の食欲亢進シグナルが機能しにくくなります。アナモレリンはグレリンよりも低分子で経口投与が可能な点でも優れており、通常の栄養補給では回復不能な悪液質に対して「受容体を直接刺激する」アプローチで対抗します。
臨床試験(ONO-7643-04試験)の結果を見ると、非小細胞肺がん悪液質患者を対象とした12週間の試験で、アナモレリン群の除脂肪体重はベースラインから+1.38kgの増加を示しました。プラセボ群は-0.17kgと減少傾向だったことと比べると、この差は統計的にも有意(p<0.0001)で、がん患者が骨格筋を維持・回復できたことを意味します。体重全体でもアナモレリン群は+1.06kg、プラセボ群は-0.50kgという差がありました。
日本消化器病学会による情報では、食欲が改善することで家族や友人と楽しい食事ができるようになる、体重の減少を気にしなくてすむようになるなど、患者のQOL向上に大きく貢献するとされています。これは数字だけでは語れない意義です。
ただし、すべての患者に効果が出るわけではありません。添付文書では「投与開始3週間後を目途に体重増加または食欲改善が認められない場合は原則中止」と定められており、漫然と投与し続けることは推奨されていません。また効能・効果の対象は「切除不能な進行・再発の非小細胞肺がん、胃がん、膵がん、大腸がんにおけるがん悪液質」に限定されており、すべてのがん種に使えるわけではない点も知っておくべきことです。
参考:日本消化器病学会 健康情報誌「消化器のひろば」がん悪液質とアナモレリン
https://www.jsge.or.jp/citizens/hiroba/hiroba21/hiroba21_04/
アナモレリンについて多くの医療関係者が見落としがちなのが、グレリン様作用とはまったく別の経路で生じる「Naチャネル阻害作用」です。この作用は食欲亢進・筋肉増加という本来の目的とは無関係ですが、心臓の刺激伝導系に対して抑制的に働くため、重大な副作用につながります。
刺激伝導系抑制は、添付文書に記載された重大な副作用で、発現率は10.7%です。10人に1人以上の割合です。心電図異常として「顕著なPR間隔延長・QRS幅延長・QT間隔延長」が見られる可能性があり、房室ブロック、頻脈、徐脈、動悸、血圧低下などを引き起こすことがあります。
そのため、下記の患者にはアナモレリンは禁忌(使用してはいけない)とされています。
Naチャネル阻害作用が大きいですね。特に注意が必要なのは、がん患者の中には過去に蓄積性の心毒性を持つアントラサイクリン系抗がん剤(ドキソルビシンなど)を使用した経歴があるケースです。このような患者では心臓への負担がすでに蓄積しているため、重篤な副作用リスクがさらに高まるとされています。
投与前・投与中を通じて、心電図・脈拍・血圧・心胸比・電解質の定期的なモニタリングが必要です。
また、アナモレリンはCYP3A4で代謝される肝代謝型薬剤です。CYP3A4を強力に阻害または誘導する薬剤との組み合わせに注意が必要で、併用禁忌・併用注意の薬剤が多い点も特徴です。例えばイトラコナゾールなどのCYP3A4強力阻害薬との併用は禁忌となっています。用量管理の観点からも、服用後1時間は食事をとらないことが必要で、食後2時間以内での服用では空腹時と比べてCmaxとAUCがそれぞれ0.31倍・0.49倍まで低下します。適正使用ガイドでは「起床直後の服用」を推奨しています。
参考:ファルマシスタ「世界初のがん悪液質治療薬:エドルミズ錠(アナモレリン)の特徴と注意点」
https://pharmacista.jp/contents/skillup/academic_info/tumor/4642/
2025年の研究が明らかにしたのは、スーパーアゴニスト活性だけではありませんでした。研究チームはさらに、ゲノムの一塩基多型(SNPs:Single Nucleotide Polymorphisms)がアナモレリンの薬効に影響を与えることを、構造レベルで初めて立証しました。個別化医療への展開が見えてきた点です。
GHS-R1aのリガンド結合ポケット周辺にあるSNPsを解析すると、特定のアミノ酸変異(Asn305Lys:305番目のアスパラギンがリジンに変異)を持つグレリン受容体では、グレリンやGHRP-6などのペプチド性作動薬のシグナル活性が著しく低下することが判明しました。一方、アナモレリンやイブタモレンなどの低分子作動薬では、同じSNPsがあっても活性低下が起きなかったのです。
これは何を意味するのでしょうか? 患者によっては体内のグレリン自体がうまく受容体に作用できない遺伝的多様性を持っている可能性があるということです。そういった患者に対してはグレリンそのものを投与しても効果が出にくく、アナモレリンのような低分子作動薬が有効な選択肢となる可能性があります。
さらに本研究の知見は、次世代薬の設計に直接役立てられる可能性があります。現状のアナモレリンは、有用なGタンパク質シグナルと薬効を下げるβアレスチンシグナルの両方を強力に活性化するスーパーアゴニストです。βアレスチンシグナルへの活性化を選択的に抑えた「バイアスドアゴニスト」を設計できれば、体重増加だけでなく筋力増強まで実現する、より強力ながん悪液質治療薬の開発につながると期待されています。
グレリン受容体を標的とした薬剤は、がん悪液質以外にも成長ホルモン分泌不全症、摂食障害、心不全などへの応用が研究されています。特に心不全に関しては、グレリンが心拍出量を増大させる作用を持つことから、治療薬候補として研究が進んでいます。アナモレリンの構造解明研究は、このような多方面への展開にも重要な基盤を提供しています。
がん悪液質という複合的な代謝障害に立ち向かうためには、単に食欲を高めるだけでは不十分であることが分かっています。アナモレリンの作用機序を深く理解し、その限界と可能性を知ることが、医療従事者にとっても患者・家族にとっても、より良い治療判断につながります。現在、アナモレリンと運動療法を組み合わせた集学的治療の試みも進んでおり、単独の薬物療法を超えた包括的アプローチへの期待が高まっています。
参考:PASSMED「エドルミズ(アナモレリン)の作用機序【がん悪液質】」
https://passmed.co.jp/di/archives/9514