腫瘍のない患者でも抗NMDA受容体脳炎を発症するケースが約4割存在し、「腫瘍を見つければ診断確定」という判断が重大な見逃しにつながります。

抗NMDA受容体脳炎は、グルタミン酸受容体の一種であるNMDA受容体のGluN1サブユニットに対するIgG自己抗体が産生されることで発症する、自己免疫介在性脳炎です。 NMDA受容体は神経細胞のシナプスに存在し、記憶形成・学習・情動調節など多彩な脳機能に関与しています。つまり、この受容体が機能不全に陥ると、脳全体が多段階に障害を受けるということです。
産生された自己抗体は、まず血液・リンパ系で作られますが、やがて血液脳関門を通過した抗体産生細胞によって中枢神経内でも合成されるようになります。 中枢神経内では、抗体が後シナプスのNMDA受容体と架橋結合し、受容体を内在化(インターナリゼーション)させます。細胞膜表面の受容体数が減少する結果、シナプス可塑性が著しく低下します。
関連)https://www.med.gifu-u.ac.jp/neurology/column/ohter/20221210.html
これが「感染症でも変性疾患でもない脳炎」として多様な神経精神症状を引き起こす病態の核心です。結論は自己抗体によるシナプス機能不全です。
2007年にDalmauらが本疾患を初めて報告したとき、その名称は「卵巣奇形腫関連傍腫瘍性脳炎」でした。 卵巣奇形腫(成熟嚢胞性奇形腫)の組織内にはGluN2BやGluA1など複数の神経分子が発現しており、これらが抗原となって免疫系を活性化します。 腫瘍細胞がNMDA受容体タンパクを異所性に発現することで、免疫系が「脳内の受容体も攻撃してよい標的」と誤認識するわけです。
関連)https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E6%8A%97NMDA%E5%8F%97%E5%AE%B9%E4%BD%93%E8%84%B3%E7%82%8E
重要な点は、卵巣奇形腫のサイズが非常に小さい場合でも本疾患を引き起こす可能性があることです。 例えば卵巣に1cm以下の病変しかなくても、脳炎の原因となりえます。これは使えそうな知識です。画像検査で腫瘍を否定した症例でも、数ヶ月後の再検査で成熟嚢胞性奇形腫が確認された報告があります。
関連)https://cir.nii.ac.jp/crid/1390001288142353536
腫瘍合併率については成人女性で約38〜50%とされ、若年女性ほど高い傾向があります。 高齢者では肺小細胞がんなど悪性腫瘍との関連も示されています。 腫瘍のスクリーニングは一度で終わりではありません。
関連)https://maruoka.or.jp/brain-and-nerve/brain-and-nerve-disordrs/anti-nmda-receptor-encephalitis/
以下は年齢層別の合併腫瘍の特徴です。
| 患者層 | 主に関連する腫瘍 | 合併率の目安 |
|---|---|---|
| 若年女性(10〜40代) | 卵巣成熟嚢胞性奇形腫 | 約38〜50% |
| 小児 | 腫瘍非合併例が多い | 成人より低い |
| 高齢者・男性 | 肺小細胞がんなど | まれ |
参考:腫瘍との関連と診断の詳細についてはこちら
脳科学辞典「抗NMDA受容体脳炎」- NMDA受容体抗体の産生メカニズムと腫瘍合併の詳細解説
腫瘍が確認されない症例も多数存在します。腫瘍非合併例では、ウイルス感染や環境中の有害物質への曝露が免疫系の異常活性化の引き金になると考えられています。 特に単純ヘルペスウイルス脳炎(HSV脳炎)の後遺症として抗NMDA受容体脳炎を続発するケースが報告されており、これは医療従事者が見落としやすい重要な病態です。
関連)https://maruoka.or.jp/brain-and-nerve/brain-and-nerve-disordrs/anti-nmda-receptor-encephalitis/
HSV脳炎回復後に精神症状や不随意運動が再燃した場合、再発ではなく抗NMDA受容体脳炎の続発を疑うべき局面があります。 腫瘍なしで腫瘍スクリーニングが陰性でも、脳炎後の経過観察は怠れません。
関連)https://maruoka.or.jp/brain-and-nerve/brain-and-nerve-disordrs/anti-nmda-receptor-encephalitis/
小児では成人に比べ腫瘍合併率がさらに低く、腫瘍のない症例が主体です。 にもかかわらず小児の自己免疫介在性脳炎のなかでは本疾患が最多とされており、腫瘍の有無に関わらず広く疑うことが診断の基本です。
また遺伝的な素因も発症リスクに影響すると言われており、家族歴の聴取も問診として意義があります。 環境因子+遺伝的背景の複合的な要因が発症を決定づけると考えるのが現在のコンセンサスです。
関連)https://maruoka.or.jp/brain-and-nerve/brain-and-nerve-disordrs/anti-nmda-receptor-encephalitis/
確定診断(Definite)には、cell-based assay(CBA)法による抗GluN1-IgG抗体の陽性確認が必要です。 この検査は現在保険外ですが、商業ベースで実施可能です。感度・特異度はともに約80%と報告されており、臨床診断基準の妥当性が日本人コホートでも確認されています。
診断確定を待つ前に治療を開始できるよう、「Probable(臨床的確定)」の診断基準も定められています。以下の条件を3ヶ月以内の急性発症で満たす場合が該当します:
- 異常行動・認知機能障害、言語障害(無言症など)
- けいれん発作
- 異常運動(ジスキネジア・ジストニア・舞踏運動)
- 意識レベルの低下
- 自律神経障害または中枢性低換気
髄液検査では軽度のリンパ球増多が多く見られます。 急性期の頭部MRIは小児例を中心に異常を認めないケースが多いため、「MRI正常=脳炎なし」という思い込みは危険です。
関連)https://www.kango-roo.com/learning/7662/
参考:診断基準の詳細と臨床症状の経過
東京都立神経病院「抗NMDA受容体脳炎(医療関係者へ)」- 診断基準・治療プロトコール・診療実績の詳細
この疾患が医療現場で特に問題になるのは、初期症状が精神疾患と酷似している点です。 急性の幻覚・妄想・興奮・睡眠障害は統合失調症の急性増悪と区別が難しく、精神科への初診後に診断が遅れるケースが少なくありません。初期対応が結果を左右します。
関連)https://maruoka.or.jp/brain-and-nerve/brain-and-nerve-disordrs/anti-nmda-receptor-encephalitis/
実際、本疾患は映画「エクソシスト」のモデルとなった症例と同一疾患である可能性が指摘されており、岐阜大学のコラムでは活性化NMDA受容体型脳炎として取り上げられています。 これは「悪魔憑き」とみなされていた症状が、実は治療可能な自己免疫性脳炎だったことを示す象徴的な事例です。
関連)https://www.med.gifu-u.ac.jp/neurology/column/ohter/20221210.html
鑑別のポイントとして、以下の所見が精神疾患よりも抗NMDA受容体脳炎を疑わせます:
関連)https://www.kango-roo.com/learning/7662/
精神症状のみ先行する初期段階では脳炎の診断に至らず、免疫療法の開始が遅れると回復に時間がかかるほか後遺症のリスクも高まります。 早期の抗体検査オーダーが治療成績を決めると言っても過言ではありません。
関連)https://maruoka.or.jp/brain-and-nerve/brain-and-nerve-disordrs/anti-nmda-receptor-encephalitis/
参考:精神症状との鑑別と臨床対応
看護roo!「抗NMDA受容体脳炎」- 病態・検査・治療・看護の注意点をわかりやすく解説
原因が「自己抗体による受容体の機能喪失」である以上、治療の核心は免疫療法による抗体の除去・産生抑制です。 第1選択はステロイドパルス療法・免疫グロブリン大量静注療法(IVIG、1クール約50万円)・血漿交換の3つで、状況に応じて単独または組み合わせで使用します。
第1選択で効果不十分な場合、第2選択としてリツキシマブ(1回投与約30万円)またはシクロホスファミドを用います。 これらは保険適応外のため、倫理委員会の承認や十分なインフォームドコンセントが前提となります。早期に第2選択を提供できる施設への紹介が望ましいとされています。
腫瘍合併例では腫瘍摘出が治療の重要な柱となります。摘出により自己抗体の産生源がなくなり、免疫療法との相乗効果で症状改善が期待できます。 腫瘍摘出は薬と同じくらい重要です。
関連)https://maruoka.or.jp/brain-and-nerve/brain-and-nerve-disordrs/anti-nmda-receptor-encephalitis/
治療期間は概ね6ヶ月〜2年にわたります。 再発率は約12〜24%とされており、長期経過観察と維持療法(ミコフェノール酸モフェチルなど)の継続が再発予防に有効です。 治療終了後も定期的な通院が原則です。
参考:治療法と費用の詳細
丸岡病院「抗NMDA受容体抗体脳炎の原因・治療・費用」- 治療法・薬剤・副作用・費用の詳細データ
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