mRNAワクチンを接種したがん患者の生存期間は、未接種患者の約2倍になる場合があります。
スパイクタンパク質が直接がんを引き起こすという証拠は現時点では確立されていませんが、腫瘍抑制タンパク質p53の機能に干渉する可能性が複数の研究で示され始めています。2026年1月にOncotarget誌に発表された仮説論文では、HPV(ヒトパピローマウイルス)のE6タンパク質とSARS-CoV-2スパイクタンパク質が協調してp53の機能を阻害する可能性が提唱されました。
p53は「ゲノムの守護者」とも呼ばれる腫瘍抑制タンパク質で、DNA損傷を検知してアポトーシスや細胞周期停止を誘導します。つまりp53はがん化を食い止める「最後の砦」です。この機能が二重に阻害される状況が生まれると、がん発症リスクが高まる可能性があります。
特に注目されるのは、HPV感染後に頭頸部がんを経験し寛解した患者が、COVID-19 mRNAワクチン接種後に肝転移を伴う腫瘍再発を示した症例報告が、この論文の動機となっていることです。もちろんこれはひとつの症例であり、因果関係の確定には至っていません。とはいえ、HPV感染患者にワクチン接種を勧めるシーンが多い医療現場では、念頭に置いておく必要がある仮説と言えます。
また、Seneff らが発表した論文(Food and Chemical Toxicology誌掲載)でも、スパイクタンパク質の産生細胞がIRF9の発現を抑制するmiRNAを含むエキソソームを血中に放出し、これがBRCA1・BRCA2の癌保護機能を損なう可能性が指摘されています。BRCA1/2異常に関連するがんには乳がん・卵巣がん・前立腺がん・膵臓がんなどが含まれており、臨床的に重要な知見です。
これはリスクがある、ということですね。現時点で確定的な結論ではなく、分子生物学的な仮説段階である点は正確に理解しておく必要があります。
参考:HPV E6タンパク質とCOVID-19スパイク蛋白質がp53腫瘍抑制機能を協調的に阻害する仮説の概要(CareNet)
https://academia.carenet.com/share/news/2f0c50ec-004b-4b6b-87e6-540a3f65d3f2
I型インターフェロン(IFN)は、ウイルス感染への防御だけでなく、がんサーベイランスの中核でもあります。IFN-αはNK細胞・CD8陽性T細胞の活性化、p53のアップレギュレーション、腫瘍細胞でのMHCクラスI抗原提示を誘導することで、がん細胞を免疫系に「見える」状態にする役割を担っています。
スパイクタンパク質を産生する細胞では、IRF9(IFN調節因子9)の産生が抑制されることが示されています。IRF9はIFN刺激遺伝子因子3(ISGF3)複合体の構成要素として少なくとも150の遺伝子発現を促進しており、その抑制はTRAIL経路の機能低下をも引き起こします。つまりがん細胞のアポトーシス誘導が妨げられる可能性があります。
さらにIRF7の抑制も確認されており、800人超の乳がん患者データではIRF7関連遺伝子の発現が高い患者ほど骨転移が有意に少ないという報告があります。骨転移リスクを予測するバイオマーカーとしての可能性さえ提唱されているほどです。
つまりI型IFN経路の障害は深刻です。ただし重要なのは、この抑制がどの程度・どのくらいの期間持続するのかについて、現時点ではまだ明確なデータが不足している点です。がん既往歴のある患者や免疫が低下した患者においては、より慎重なフォローアップが求められます。
参考:SARS-CoV-2 mRNAワクチン接種による自然免疫抑制に関する論文(香川医師会)
https://www.kagawa-med.com/data/COVID-19/no.27.topics.full.pdf
2025年12月にCancers誌に掲載されたイタリア・ピエモンテ・オリエンタル大学のレビュー論文(Siro Isidro著)は、SARS-CoV-2およびmRNAワクチン由来スパイクタンパク質が非遺伝毒性の発がん促進効果を生じさせる複数のメカニズムを包括的に整理しています。短期間で遺伝毒性事象を引き起こして新たながんを生成する可能性は低いとされる一方で、以下のような機序が休眠中の微小腫瘍の「覚醒」を促進する可能性があるとされています。
これらは相乗的に作用するとされています。特に複数回のワクチン接種と複数回の感染を経験した高齢者・担がん患者においては、それぞれの促進因子が積み重なる状況が生まれています。
一方、こうした研究の多くは観察研究・仮説論文・前臨床試験に留まっており、因果関係の確定には前向きコホート研究が必要です。がんとワクチン接種の時期的相関が報告されているからといって、即座に因果関係と結論づけることは科学的に適切ではありません。医療従事者として、患者への説明ではこのニュアンスの区別が問われます。
参考:SARS-CoV2とmRNAワクチンとがんの機序的関連に関するレビュー(Cancers誌 2025年12月)
https://note.com/clever_yarrow83/n/n8634bc0338d0
ここまでリスク側の話が続きましたが、スパイクタンパク質には「がん免疫療法の効果を劇的に高める」可能性も示されています。これは意外ですね。2025年にNature誌に掲載された米国テキサス大学MDアンダーソンがんセンターのGrippin博士らの研究が、この分野に大きな衝撃を与えました。
研究結果のポイントは以下の通りです。
なぜこのような効果が生まれるのでしょうか? mRNAワクチンが体内に投与されると、脂質ナノ粒子がI型インターフェロンを強力に誘導し、免疫系全体を「高警戒モード」に切り替えます。この状態で免疫チェックポイント阻害薬が投与されると、これまで「コールド腫瘍」(免疫細胞が浸潤しにくいがん)であったものが「ホット腫瘍」に変化し、免疫細胞の攻撃を受けやすくなると考えられます。
マウスモデル(B16F0メラノーマ・Lewis肺がん)でも同様の結果が確認され、I型インターフェロンシグナリングを阻害する抗IFNAR1抗体を使うとこの抗腫瘍効果が完全に消失することが確認されています。これがカギです。注目すべきは、スパイクタンパク質そのものではなく「mRNAが自然免疫に感知される」ことが主因とされており、コードするタンパク質の種類を変えても抗腫瘍活性は変化しなかった点です。
この知見は「mRNAという技術プラットフォーム自体が免疫調節ツールとして機能する」ことを示すものであり、今後のmRNAがんワクチン開発の理論的基盤となります。ICIを使ったがん治療に携わる医師・腫瘍内科医にとって、ワクチンの接種タイミングを治療戦略に組み込む視点が新たに求められる段階に入ったといえます。
参考:SARS-CoV-2 mRNAワクチンによるがん免疫療法の促進(国立国際医療研究センター)
https://www.igakuken.or.jp/r-info/covid-19-info299.html
スパイクタンパク質をめぐる研究の蓄積は、皮肉にもmRNAというプラットフォーム技術そのものの可能性を大きく広げています。モデルナは現在、固形がんを対象としたmRNAがんワクチン「mRNA-4359」の第1/2相臨床試験を進めており、2025年10月には第2相パートへの移行が発表されました。対象は進行性悪性黒色腫および非小細胞肺がんで、ペムブロリズマブとの併用療法が主要な評価軸となっています。
このワクチンはスパイクタンパク質を使うものではありませんが、mRNA脂質ナノ粒子(LNP)技術の核心はCOVID-19ワクチンと共通です。がん抗原をコードするmRNAを効率よく抗原提示細胞に届け、CTL(細胞傷害性T細胞)応答を引き出す設計はまさにCOVID-19ワクチンの技術的遺産と言えます。これは使えそうです。
また理化学研究所は2024年11月、B細胞悪性腫瘍を対象としたaAVC-CoV-2の医師主導第I相治験を開始しています。SARS-CoV-2のスパイクタンパク質に着目して開発されたこの治験薬は、がん治療ワクチンとしての応用を目指すものです。まさにスパイクタンパク質の免疫原性をがん治療に転用しようとする試みです。
医療従事者が患者に伝えるべきメッセージとして重要なのは、「スパイクタンパク質に関連する研究は、害の懸念とベネフィットの可能性が並行して進んでいる」という事実です。どちらか一方の情報だけが強調されがちなメディア環境の中で、患者が正確な全体像を理解できるよう支援することが求められます。
がん患者・担がん患者を診る立場では特に、ICIを使った治療中のワクチン接種タイミング、がん既往患者へのmRNAワクチン接種の説明、そして現在進行中の臨床試験に関する情報提供が、今後の重要な臨床トピックとなってくるでしょう。
参考:モデルナ社mRNA-4359がんワクチン第2相移行のプレスリリース
https://www.modernatx.com/ja-JP/press-release/2025/20251017
参考:理化学研究所によるaAVC-CoV-2のB細胞悪性腫瘍対象の第I相治験開始(2024年11月)
https://www.riken.jp/pr/news/2024/20241101_1/index.html