ディートの神経毒性については、動物実験において重要な知見が得られています。成熟雄ラットに40mg/kgのディートを60日間皮膚塗布した研究では、大脳皮質、海馬、小脳において神経細胞死が確認されました。具体的には、大脳皮質の運動領、歯状回、海馬、小脳における生存神経密度の減少、退行性神経細胞数の増加、微細管結合蛋白MAP2の減少が観察されています。
参考)https://www.semanticscholar.org/paper/be990fae599b06b73716f3ae55116b95942d357c
臨床報告では、3歳女児が毎日2週間、濃度15%の虫除けスプレーを使用した結果、ふるえ、運動失調、発音不明瞭などの神経症状を呈したケースがあります。また、軽度精神遅滞を患う5歳男児がキャンプの朝に虫除け剤を使用し、重度のけいれん発作を起こした例も報告されています。
参考)https://www.mutenka-okada.com/column/deto.php
神経毒性の発症機序として、ディートが血液脳関門を通過し、神経細胞の膜構造に影響を与えることが考えられています。しかし、これらの症例の多くは高濃度製剤の使用や過剰な暴露によるものであり、適切な使用法を遵守した場合のリスクは極めて低いとされています。
参考)https://concio.jp/blogs/blog/deet
国内のディート含有医薬品・医薬部外品における副作用報告では、皮膚に関連する症状が最も多く報告されています。主な症状として、発赤(56件)、湿疹(28件)、皮膚の爛れ(25件)、痒み(20件)、発疹(19件)などが挙げられます。
参考)https://www.mhlw.go.jp/stf2/shingi2/2r9852000000jff9-att/2r9852000000jfmo.pdf
これらの皮膚症状の多くは接触性皮膚炎の典型的な症状です。ディートは脂溶性の化合物であるため、皮膚の脂質膜と相互作用し、皮膚バリア機能に影響を与える可能性があります。特に敏感肌や皮膚疾患を有する患者では、より低濃度でも症状が現れることがあります。
接触蕁麻疹も報告されており、これはアレルギー性接触皮膚炎の一型として位置づけられます。症状は使用直後から数時間以内に現れることが多く、使用部位の発赤、膨疹、搔痒感が特徴的です。重症例では全身性の蕁麻疹に発展する場合もあるため、初回使用時は少量で様子を見ることが推奨されます。
ディートの副作用発現率は使用濃度と密接な関係があります。アメリカ環境保護庁のレポートによると、ディートに関連する健康被害の発生率は1億分の1と推定されています。しかし、この数字は濃度別の詳細な分析が必要です。
市販の虫除け製剤では、ディート濃度が6%から30%まで様々な製品が存在します。低濃度製剤(6-12%)では主に軽度の皮膚刺激症状が報告される一方、高濃度製剤(30%以上)では神経系への影響のリスクが高まります。
特に注意すべきは、47.5%から95%という極高濃度のディートを経口摂取した事例で、脳炎や昏睡、死亡例が報告されています。これらは明らかな誤用によるものですが、高濃度製剤の皮膚使用においても、広範囲への塗布や長期連続使用により全身吸収量が増加し、副作用リスクが高まる可能性があります。
医療従事者として患者指導を行う際は、使用目的に応じた適切な濃度選択と、必要最小限の使用量での使用を推奨することが重要です。
小児に対するディートの使用については、年齢別の安全性ガイドラインが確立されています。6ヶ月未満の乳児に対しては、ディートの使用は推奨されていません。これは、乳児の皮膚バリア機能が未発達であり、経皮吸収率が成人より高いためです。
参考)https://www.kidsrepublic.jp/pediatrics/journal/detail/190716.html
6ヶ月から2歳までの幼児では、ディート濃度30%以下の製剤を1日1回まで、2歳から12歳の小児では1日3回まで使用可能とされています。ただし、顔面への直接塗布は避け、手のひらに取ってから薄く伸ばして塗布することが推奨されます。
参考)https://id-info.jihs.go.jp/other/030/deet.pdf
小児での副作用報告には特徴的な傾向があります。8歳以下の子供13例でディートに関連する可能性のある脳障害が報告され、そのうち3人が死亡しています。しかし、これらの症例におけるディートの直接的な因果関係は30年以上経った現在でも決定的には証明されていません。
むしろ、2014年の調査では、使用方法に従って使用した場合の副作用は認められないとされており、適切な使用により安全性は確保されると考えられています。
妊婦におけるディート使用の安全性については、限られた研究データしか存在しないのが現状です。動物実験では、妊娠中のラットが高用量のディートに暴露されると、その子供の出生体重が低下することが報告されています。また、妊娠中にディートを使用した3人の女性が重度の先天性欠損症の赤ちゃんを出産し、そのうち1人が死亡したという報告もあります。
しかし、より大規模な臨床研究では異なる結果が得られています。アメリカニュージャージー州での150人の妊婦を対象とした研究と、タイでの897人の妊婦を対象とした研究では、ディートが胎盤を通過して子宮に侵入することが確認されましたが、その濃度はごくわずかでした。
これらの研究では、ディートを使用した母親から生まれた子供と使用しなかった母親の子供を比較しても、体重減少や疾病発症に有意差は認められませんでした。また、認知障害や重大な先天性欠損症の発症率にも差は見られませんでした。
現在の医学的見解では、妊娠中のディート使用について明確な禁忌は設定されていませんが、妊娠初期の器官形成期においては特に慎重な使用が推奨されています。医療従事者として妊婦への指導を行う際は、個々の患者のリスクベネフィットを慎重に評価することが必要です。