アレクサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming, 1881-1955)は、スコットランド出身のイギリスの細菌学者で、世界初の抗生物質ペニシリンの発見者として医学史にその名を刻んでいます。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11339718/
1881年8月6日にスコットランドで生まれたフレミングは、当初研究者になることを目指していませんでした。彼は軍隊での経験を積み、射撃の名手として知られていました。しかし、聖マリー病院のライフルクラブの部長が彼の射撃技術に注目し、外科医として病院を離れるよりも研究者として残ることを勧めました。この運命的な出会いが、後の医学史を変える大発見への第一歩となったのです。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4520913/
フレミングを研究の道に導いたのは、免疫学とワクチン研究の先駆者であるサー・アルムロス・ライト(Sir Almroth Wright)でした。ライト博士の研究グループに参加したフレミングは、生涯にわたってこのグループで研究を続けることになります。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、フレミングの人生は大きく変わりました。戦地で負傷した兵士たちの治療にあたったフレミングは、傷口から侵入した細菌による感染症で多くの兵士が命を落とす光景を目の当たりにしました。
参考)https://www.med.akita-u.ac.jp/~doubutu/gijutubu/AMP/Penicillin.html
戦場での主な治療は傷の洗浄と石炭酸での消毒でしたが、それだけでは感染症を防ぐことができませんでした。数日前まで勇ましく戦場に立っていた男性たちが、細菌感染により苦しみながら亡くなっていく様子を見たフレミングは、より効果的な感染症治療法の必要性を痛感しました。
参考)https://sciencingstyle.com/column/innovation_vol03/
この戦争体験こそが、フレミングが細菌学の研究に本格的に取り組む原動力となったのです。戦争が終わると、彼は感染症予防の研究に打ち込み、細菌を倒す薬の開発を目指すようになりました。
フレミングによるペニシリンの発見は、1928年のある日の偶然から始まりました。しかし、この発見は単なる偶然ではなく、彼の鋭い観察力と科学的な探究心があってこそ実現したものでした。
参考)https://www.cureus.com/articles/275581-the-penicillin-pioneer-alexander-flemings-journey-to-a-medical-breakthrough
偶然の発見の瞬間
1928年、フレミングが休暇から戻って実験室の片付けをしていた際、黄色ブドウ球菌を培養していたペトリ皿にアオカビ(Penicillium notatum)が混入しているのを発見しました。通常であれば、このような汚染された培地は廃棄するのが一般的でした。
参考)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0
しかし、フレミングはこのペトリ皿を詳しく観察しました。すると、カビのコロニーの周囲だけ細菌の生育が阻止され、透明な部分ができていることに気づいたのです。この現象に興味を持ったフレミングは、アオカビを液体培地で培養し、その培養液をろ過したろ液に抗菌物質が含まれていることを確認しました。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11189133/
ペニシリンという名前の由来
フレミングはこの抗菌物質を、アオカビの属名であるPenicilliumにちなんで「ペニシリン」と名付けました。1929年6月、彼はBritish Journal of Experimental Pathology誌でペニシリンに関する研究成果を発表しました。
参考)https://gendai.media/articles/-/106906?page=6
フレミングの限界と実用化への課題
フレミング自身は細菌学者であり、化学の専門家ではありませんでした。そのため、ペニシリンを単独の物質として分離・精製することができず、実用化には至りませんでした。当初、フレミングはペニシリンを局所的な消毒剤として使用することを考えていましたが、その特性や活性について十分に解明することはできませんでした。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11540112/
ペニシリンの発見より前の1921年、フレミングは別の重要な抗菌物質「リゾチーム」を発見していました。この発見もまた、偶然から生まれたものでした。
リゾチームの発見経緯
研究中にフレミングが鼻にむずがゆさを感じ、細菌を塗抹したペトリ皿にくしゃみをしてしまったことが発見のきっかけでした。数日後、くしゃみの飛沫が付着した部分だけ細菌のコロニーが破壊されているのを発見したのです。
リゾチームは人間の唾液や卵白などに含まれている殺菌作用を持つ酵素で、感染症を治癒させる力はありませんでしたが、現在では食品添加物や医薬品として広く用いられています。
この発見により、フレミングは抗菌物質に対する理解を深め、後のペニシリン発見への準備が整ったと考えられます。
フレミングの発見から実用化までには長い道のりがありました。ペニシリンが実際に治療薬として使用されるようになったのは、彼の発見から12年後の1940年のことでした。
参考)https://www.jpma.or.jp/junior/kusurilabo/history/person/fleming.html
フローリーとチェーンによる「再発見」
1940年頃、オックスフォード大学のハワード・フローリー(Howard Florey)とエルンスト・チェーン(Ernst Chain)がフレミングの論文を「再発見」し、ペニシリンの単離に成功しました。彼らは化学者として、フレミングができなかった純粋な抗菌成分の精製と大量生産法の確立を実現したのです。
第二次世界大戦での実用化
第二次世界大戦中、ペニシリンは多くの兵士の命を救いました。従来のサルファ剤を上回る効果を示し、肺炎、敗血症、ジフテリア、髄膜炎、産褥熱などの感染症を治療することが可能になりました。
フレミング自身による初の治療成功
興味深いことに、フレミング自身がペニシリンによる治療を初めて成功させたのは61歳の時でした。細菌感染で数日の命と言われていた友人に、最後の望みをかけてペニシリンを注射したところ、奇跡的に回復したのです。このときのフレミングの喜びは計り知れないものがあったでしょう。
参考)https://www.bdj.co.jp/safety/articles/ignazzo/hkdqj200000vgm8c.html
ノーベル賞の共同受賞
1945年、アレクサンダー・フレミング、ハワード・フローリー、エルンスト・チェーンの3名は、ペニシリンの発見とその治療効果の発見により、ノーベル生理学・医学賞を共同受賞しました。これは「ペニシリンの発見」と「ペニシリンの再発見」両方の功績が認められた結果でした。
参考)https://www.scj.go.jp/omoshiro/nobel/tanaka/fleming.html
現代への影響
フレミングの発見したペニシリンは、現代でも使用される重要な抗生物質です。彼の発見は抗生物質時代の幕開けとなり、その後の様々な抗生物質の開発の基盤となりました。しかし現在では、抗生物質の過剰使用による薬剤耐性菌の問題も指摘されており、フレミングの発見の重要性と同時に、適切な使用の必要性も認識されています。
参考)https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/frym.2019.00159/pdf
フレミングが残した功績は、単なる医学的発見を超えて、人類の健康と生命を守る基盤技術として、今もなお世界中で多くの人々を救い続けているのです。