アンジオジェネシス(angiogenesis)とは、既存の血管から新しい血管が形成される生理学的プロセスを指す医学用語です。この英語の語源は、ギリシャ語の「angio(血管)」と「genesis(生成・発生)」を組み合わせたもので、文字通り血管の新生を意味します。
参考)https://www.eurekalert.org/news-releases/770354?language=japanese
血管新生は、血管を構成する血管内皮細胞が既存血管の壁から出芽し、遊走・増殖しながら管腔を形成することで新しい血管ネットワークが構築される複雑なプロセスです。通常、胎生期や成長期に活発に起こる現象ですが、成人では創傷治癒や月経周期、妊娠時など特定の生理状況下で観察されます。
この概念が医学分野で注目されるようになったのは、1970年代にJudah Folkman博士が腫瘍の成長に血管新生が必要であることを提唱してからです。現在では、がんの進行、動脈硬化、糖尿病合併症、眼科疾患など多くの病態に深く関わる重要な生物学的現象として認識されています。
興味深いことに、日本のバイオベンチャー企業「アンジェス株式会社」の社名も、この血管新生(アンジオジェネシス)に由来しており、同社が血管新生治療法の開発を事業の核としていることを示しています。
参考)https://www.anges.co.jp/company/
血管新生は、多くの分子が複雑に相互作用することで制御されている精密なシステムです。この過程で最も重要な役割を果たすのが、血管内皮増殖因子(VEGF: Vascular Endothelial Growth Factor)です。VEGFは血管内皮細胞に直接作用し、細胞の増殖、遊走、血管透過性の亢進を誘導します。
VEGFと並んで重要なのが、線維芽細胞成長因子2(FGF2: Fibroblast Growth Factor 2)です。FGF2はVEGFと協調的に働き、血管内皮細胞の増殖を促進するとともに、血管周囲の支持細胞の動員にも関与します。これらの成長因子は、酸素不足(低酸素状態)や炎症、機械的刺激などの様々な環境変化に応答して産生されます。
一方、生体内では血管新生の過剰な進行を防ぐための負のフィードバック調節機構も存在します。その代表的な因子がバソヒビン-1(VASH1: Vasohibin-1)です。VASH1は血管内皮細胞が血管新生刺激に反応して産生する内因性の血管新生抑制因子で、東北大学の研究グループによって発見されました。
VASH1の作用メカニズムは非常にユニークで、微小管の翻訳後修飾である脱チロシン化を直接誘導する酵素として機能します。この脱チロシン化により、細胞内での成長因子受容体の輸送が阻害され、結果として血管新生シグナルが抑制されます。このような精緻な調節システムにより、生体内では血管新生と血管退縮のバランスが適切に維持されています。
病的な血管新生は、多くの重要な疾患の病態形成に深く関わっています。最も注目されているのが、悪性腫瘍における腫瘍血管新生です。がん細胞が直径2-3mm以上に成長するためには、新しい血管からの栄養と酸素の供給が不可欠となります。
腫瘍血管新生は単に腫瘍の成長を支えるだけでなく、がん細胞の遠隔転移の主要経路としても機能します。腫瘍内に侵入した新生血管は構造的に不安定で透過性が高いため、がん細胞の血管内侵入を容易にし、転移を促進する環境を提供します。このメカニズムの解明により、血管新生阻害療法という新しいがん治療戦略が生まれました。
現在、ベバシズマブ(商品名:アバスチン)をはじめとする血管新生阻害薬が、大腸がん、肺がん、腎がん、卵巣がんなどの治療に広く用いられています。これらの薬剤は主にVEGFやVEGF受容体を標的とし、腫瘍血管の新生を阻害することで腫瘍の進行を抑制します。
興味深い研究結果として、血管新生阻害療法は単独よりも従来の化学療法や放射線療法と併用することで、より高い治療効果を示すことが報告されています。これは、血管新生阻害により腫瘍血管の正常化が起こり、薬剤の腫瘍内到達性が改善されるためと考えられています。
血管新生の促進的な側面を治療に活用する血管新生療法は、循環器疾患治療の新しいアプローチとして期待されています。特に、慢性的な血流不足に悩む末梢動脈疾患や冠動脈疾患の患者にとって、新しい血管(側副血行路)の形成は症状改善の鍵となります。
日本のアンジェス株式会社が開発したHGF(肝細胞増殖因子)遺伝子治療薬は、世界初の血管新生を目的とした遺伝子治療製品として2019年に承認されました。この治療法は、HGFをコードするプラスミドDNAを患部に直接注射することで、局所的な血管新生を誘導し、血流改善を図ります。
HGF遺伝子治療の臨床試験では、慢性動脈閉塞症患者の疼痛軽減や歩行距離の改善が確認されています。特に従来の外科的治療が困難な患者において、新たな治療選択肢として価値が認められています。この治療法の成功は、遺伝子治療技術の医療応用における重要なマイルストーンとなりました。
また、創傷治癒における血管新生の役割も注目されています。糖尿病性潰瘍や褥瘡などの難治性創傷では、血管新生機能の低下が治癒遅延の主要因となることが多く、血管新生を促進する治療法の開発が進められています。幹細胞療法や成長因子徐放システムなど、多角的なアプローチが検討されています。
血管新生研究の最前線では、従来の理解を超えた新しい発見が相次いでいます。近年注目されているのが、血管新生の時空間的制御メカニズムです。血管新生は単に血管内皮細胞の増殖・遊走だけでなく、周辺の間質細胞、免疫細胞、神経細胞との複雑な相互作用によって制御されていることが明らかになっています。
特に興味深いのは、血管新生と代謝の密接な関係です。血管内皮細胞のエネルギー代謝様式が血管新生の進行に大きく影響することが判明し、代謝制御を通じた新しい治療標的の可能性が議論されています。例えば、SDF1(Stromal cell-Derived Factor 1)という因子は、従来血管新生促進因子として知られていましたが、最近の研究では肥満抑制にも関与することが報告されています。
参考)http://www.pha.u-toyama.ac.jp/clinphar/Press%20Release,%20Angiogenesis%202020.pdf
また、血管新生の個体差や臓器特異性についての理解も深まっています。同じ血管新生刺激に対しても、臓器や個人によって反応が大きく異なることが知られており、精密医療の観点から個別化治療の必要性が指摘されています。
将来的には、人工知能を活用した血管新生パターンの解析や、ナノテクノロジーを用いた標的特異的な血管新生制御システムの開発が期待されています。特に、血管新生の3次元的な空間パターンを制御する技術は、再生医療や組織工学における革新的な進歩をもたらす可能性があります。
さらに、老化と血管新生の関係についても新しい知見が蓄積されており、加齢に伴う血管新生能力の低下が様々な加齢関連疾患の病因となることが示唆されています。この分野の研究進展により、アンチエイジング医学における血管新生制御の重要性が今後ますます高まることが予想されます。