神経ペプチドY(NPY)は36個のアミノ酸から構成されるペプチド神経伝達物質です。名称の由来はC末端にチロシン(Y)を持つことに由来しています。このペプチドは脳内および末梢神経系に広く分布していることが特徴で、哺乳類の脳内では最も豊富に存在する神経ペプチドの一つとされています。
NPYは中枢神経系では主に視床下部に高濃度で存在し、特に弓状核のニューロンに多く含まれています。このNPY含有ニューロンは、視床下部の室傍核を含む脳の複数の領域に投射しており、エネルギー代謝や摂食行動の調節において重要な役割を担っています。また、末梢神経系ではノルアドレナリン作動性ニューロンと共存しており、血管収縮などの自律神経機能の調節に関与しています。
NPYの構造的特徴として、パンクレアティックポリペプチド(PP)ファミリーに属し、ペプチドYY(PYY)や膵臓ポリペプチド(PPY)と構造的に類似しています。これらのペプチドは共通の進化的起源を持ち、類似の立体構造を有していますが、体内での分布や機能は異なります。
NPY受容体は7回膜貫通Gタンパク質共役型受容体(GPCR)ファミリーに属し、現在までに6種類のサブタイプ(Y1、Y2、Y3、Y4、Y5、Y6)が報告されています。これらのうち、Y1、Y2、Y4、Y5およびY6がクローニングされており、それぞれ異なる生理機能を担っています。
各受容体サブタイプの特徴は以下の通りです。
これらの受容体は細胞内シグナル伝達系を介して作用しており、主なシグナル伝達経路としては、Gsを介するcAMP合成の促進、Giを介するcAMP合成の抑制、GiあるいはGoのGβγによるGIRKチャネル(内向き整流性カリウムチャネル)の活性化、および Gq/11を介するIP3(イノシトール三リン酸)とDAG(ジアシルグリセロール)の産生などがあります。
神経ペプチドYは体内で多様な生理作用を示しますが、特にエネルギー代謝と摂食行動の調節において重要な役割を果たしています。
摂食行動への影響:
NPYは強力な摂食促進作用を持ち、視床下部の室傍核に微量のNPYを注入すると摂食が著しく促進されます。特に空腹時には視床下部から放出されるNPYが増加し、摂食行動を強く刺激します。さらに、側脳室内へNPYを持続注入するとグルココルチコイド依存性肥満が誘発されることも示されています。
熱産生と代謝調節:
NPYは褐色脂肪組織における熱産生を抑制する作用も持っています。具体的には、視床下部の室傍核にNPYを注入すると、摂食が促進されるとともに、褐色脂肪組織における代謝性の熱産生が抑制され、エネルギーの消費が節減されます。これは飢餓状態における生存戦略として理解されています。
神経機構:
最近の研究では、延髄の網様体のGABA作動性ニューロンがNPYによる熱産生抑制に関与していることが明らかになっています。視床下部にNPYを作用させると、褐色脂肪組織の熱産生抑制とともに、延髄の縫線核に投射する網様体のニューロンの発火頻度が上昇することが確認されています。
ストレス応答との関連:
NPYはストレス反応の調節にも関与しており、長時間のコルチゾール放出による作用(ストレスによる緊張状態)を抑制する効果があります。副腎皮質から放出されるデヒドロエピアンドロステロン(DHEA)と共に、苦痛の感覚を低下させる働きがあり、心理的ストレスへの適応を助ける可能性があります。
その他の生理作用:
NPYは記憶や学習のプロセス、てんかんなどの神経疾患の病態にも関与していることが示唆されています。また、血管収縮作用も持ち、ノルアドレナリン作動性ニューロンの効果を増強する働きもあります。
神経ペプチドY受容体、特にY1およびY5受容体がNPYの摂食亢進作用に深く関わっていることから、これらの受容体に対するアンタゴニストが肥満治療薬として注目されています。これまでに様々なNPY受容体アンタゴニストが開発されており、それらの治療的可能性について研究が進められています。
Y1受容体アンタゴニスト:
Y1受容体に対するアンタゴニストとして、BIBP3226、BIBO3304、SR-120819A、J-10487、GI264879A、J-115614などの非ペプチド性化合物が開発されています。これらのうち、BIBP3226およびBIBO3304はY1受容体に高い親和性を示し、脳内投与によりNPYによる摂食亢進作用を抑制することが確認されていますが、経口吸収性および脳内移行性に課題があります。
一方、ペプチド性アンタゴニストである1229U91は研究用ツールとして広く使用されていますが、Y4受容体に対するアゴニスト作用も持っているため、選択性に課題があります。
より実用的な化合物として、NGD95-1は経口吸収性および脳内移行性が高いという利点を持ち、臨床試験も行われています。また、J-104870は非常に高い親和性を持ち体内動態も良好で、100mg/kgの経口投与で摂食抑制作用が認められています。
Y2受容体アンタゴニスト:
Y2受容体に対する選択的な高親和性アンタゴニストとしてBIIE0246が知られています。Y2受容体は弓状核ではシナプス前受容体としてNPYの分泌調節に関わっていると考えられており、その調節機構への介入が治療戦略となる可能性があります。
Y5受容体アンタゴニスト:
Y5受容体アンタゴニストとしてはL-152,804(CGP 71683A)が開発されています。Y5受容体もNPYの摂食亢進作用に関与しているため、肥満治療の標的として注目されています。
今後の課題と展望:
NPY受容体アンタゴニストの開発における課題として、以下の点が挙げられます。
これらの課題を克服することで、肥満やメタボリックシンドロームなどの代謝性疾患、さらにはストレス関連障害やてんかんなどの神経疾患に対する新たな治療法の開発が期待されています。
神経ペプチドYは、構造的に関連するペプチドファミリーの一員であり、その構造と機能の関係を理解することは、受容体サブタイプに対する選択性や特異的な生理作用のメカニズムを解明する上で重要です。
NPYファミリーの構造的特徴:
NPYファミリーには、神経ペプチドY(NPY)の他に、ペプチドYY(PYY)および膵臓ポリペプチド(PPY)が含まれます。これらはいずれもF-およびY-アミドファミリーに属し、C末端がアミド化されているという共通の特徴を持っています。
特に興味深いのは、これらのペプチドが36個のアミノ酸から成り、アミノ酸配列に高い相同性を持ちながらも、異なる受容体サブタイプに対する選択性や異なる生理作用を示すという点です。この選択性の違いは、ペプチドの立体構造や特定のアミノ酸配列の違いに起因すると考えられています。
受容体結合の分子メカニズム:
最近の研究では、2種類の異なるアンタゴニストと複合体を形成した神経ペプチドY1受容体の結晶構造が報告され、NPYなどの内在性アゴニストとの結合モデルも提案されています。これらの知見から、NPYと受容体の相互作用における重要なアミノ酸残基や構造的特徴が明らかになりつつあります。
具体的には、NPY受容体の細胞外ドメインとペプチドリガンドのC末端部分との相互作用が重要であり、特にY1受容体とY2受容体ではリガンド認識機構に違いがあることが示唆されています。これらの知見は、より選択的なアゴニストやアンタゴニストの設計・開発に寄与する可能性があります。
遺伝子発現と調節:
NPYとその関連ペプチドの遺伝子発現は、様々な生理的条件や病態で異なる調節を受けています。マウス脳内でのNPY遺伝子(Npy)の発現は、視床下部の特定の領域で特に高いことが知られています。また、飢餓状態ではNPYの発現が上昇し、摂食後には低下するという調節も見られます。
これらの遺伝子発現調節メカニズムを詳細に理解することは、特定の病態における神経ペプチドシステムの変化を理解し、より効果的な治療戦略を開発する上で重要です。
進化的観点:
NPYファミリーのペプチドは脊椎動物で広く保存されており、その構造と機能の進化的関係も興味深い研究対象となっています。特に、受容体サブタイプの多様化とペプチドリガンドの構造変化の共進化は、様々な生理機能の特殊化を可能にした要因と考えられています。
NPY受容体の構造に関する最新研究についての詳細はこちらから
神経ペプチドYとその関連ペプチドの構造機能相関の理解は、基礎神経科学の発展のみならず、肥満、糖尿病、高血圧、不安障害、うつ病などの様々な疾患に対する新規治療薬の開発においても重要な基盤となるでしょう。