舟状骨は手関節を構成する8つの手根骨の一つで、母指(親指)側に位置しています。船底のような彎曲をしていることから「舟状骨」という名称がつけられました。解剖学的に重要な特徴として、舟状骨は母指の列にあるため他の指の列と比較して約45度傾いて存在しています。この特殊な位置関係が、一般的なX線撮影では骨折を見逃しやすい原因となっています。
舟状骨への血液供給は主に遠位部からなされており、特に近位部は血行が乏しくなっています。この解剖学的特徴が、舟状骨が「非常に治りにくい骨折の1つ」と言われる主な理由です。
発生機序としては、手を開いた状態で手のひらをついて転倒した際に受傷することが最も多く見られます。具体的には、手関節が過伸展(背屈)された状態で強い外力が加わることで骨折が生じます。スポーツ活動中や交通事故、高所からの落下などの状況で多発し、特に20~30歳代の活動性の高い年齢層に多い外傷として知られています。
手首のプロテクターを使用することで受傷リスクを低減できるという報告もあり、ハイリスクなスポーツを行う際には予防的装具の着用が推奨されます。
舟状骨骨折の症状は特徴に乏しく、初期段階では手首の捻挫と誤認されやすいことが臨床上の大きな課題です。症状が軽微であるため、患者自身が医療機関を受診しないケースも少なくありません。
典型的な症状としては以下のようなものが挙げられます。
特徴的なのは、骨折初期には痛みがそれほど強くないことがあり、数日経過すると一時的に症状が軽減することもある点です。このため「単なる捻挫だろう」と誤認され、適切な治療が遅れてしまうことがあります。しかし、数日経っても親指の付け根周辺の痛みや腫れが引かない場合には舟状骨骨折を疑う必要があります。
診断においては、まず問診と身体診察が基本となります。MSDマニュアルによれば、臨床的に重要な診察所見として以下が挙げられています。
画像診断としては、まずX線撮影が行われますが、舟状骨は通常の撮影方法では骨折線が明瞭に映らないことが多いという特性があります。そのため、正面像、側面像に加えて斜位像なども含めた複数方向からのX線撮影が推奨されます。
それでも診断が困難な場合は、CTやMRI検査が有用です。特にMRIは早期の骨折診断に優れており、X線で骨折線が確認できない場合でも骨髄浮腫を検出できることから、臨床症状から舟状骨骨折が疑われる場合には積極的に検討すべき検査と言えます。
臨床的に舟状骨骨折が疑われるものの画像検査で確定診断に至らない場合は、予防的にスパイカ型の母指副子固定を行い、1~2週間後に再度X線検査を実施するという対応も一般的に行われています。
舟状骨骨折の治療方針は、骨折の部位や転位の有無によって異なります。転位のない骨折、特に遠位部(中央より親指側)の骨折は、血流が比較的良好であるため保存的治療が選択されることが多いです。
保存的治療の基本は、ギプス固定です。舟状骨骨折の場合、通常の骨折と比較して長期間の固定が必要とされます。一般的には、スパイカ型の母指ギプス固定が行われ、肘より下の部分を固定します。
固定期間は骨折の部位や患者の年齢、骨癒合の進行状況によって異なりますが、通常6~8週間程度必要とされます。場合によっては、さらに長期間の固定が必要となることもあります。舟状骨骨折からリハビリまでを含めた治療期間は、通常3ヶ月程度は必要と考えられています。
近年では、骨癒合を促進するための補助的治療法として、低出力超音波治療(LIPUS)が用いられることもあります。これは骨折部に超音波を照射することで骨形成を促す治療法であり、舟状骨骨折のように血流が乏しく治癒に時間がかかる骨折に対して有効性が報告されています。
保存的治療の経過観察期間中は、ギプス固定中であっても、固定されていない部位の関節拘縮を予防するためのリハビリテーションが重要です。特に、肩関節や肘関節、手指の関節機能を維持するための自動運動や、筋力低下を予防するための等尺性筋力訓練などが推奨されます。
ギプス除去後のリハビリテーションでは、手関節の可動域訓練や筋力強化、日常生活動作の練習などを段階的に進めていきます。特に、前腕の筋肉のストレッチと手内筋(内側や深部にある筋肉)のトレーニングは重要であり、手首の柔軟性の確保と握力や手先の力の回復を目指します。
保存的治療において注意すべきは、ギプス固定が長期になるほど筋力低下や関節拘縮のリスクが高まるという点です。しかし、固定期間を短縮すると骨癒合が不十分となり、偽関節のリスクが高まるというジレンマがあります。そのため、定期的なX線検査によって骨癒合の進行を確認しながら、適切なタイミングでギプス固定を解除し、リハビリテーションへと移行することが重要です。
保存的治療が困難な舟状骨骨折や、すでに偽関節を形成している症例では手術治療が検討されます。手術の適応となる主なケースは以下の通りです。
近年では、長期間のギプス固定を避けるために、早期から積極的に手術治療を選択するケースも増えています。特に、特殊なネジによる固定を行うことで治療期間の短縮が図られており、臨床的にも良好な成績が報告されています。
代表的な術式としては以下のようなものが挙げられます。
最も一般的な手術方法であり、骨折部を小さな切開で露出させることなく、X線透視下でスクリューを挿入して固定します。低侵襲であることが利点ですが、適応は限られます。
骨折部を直視下に整復し、スクリューやワイヤーで固定する方法です。より複雑な骨折や転位の大きい症例に適しています。
偽関節や骨欠損を伴う症例では、自家骨を移植することで骨癒合を促進します。特に偽関節となった場合には、骨を削ったり離れた骨をボルトで固定したりする手術が必要になることがあります。
手術後の管理としては、通常4~6週間程度のギプスまたはスプリント固定が行われます。その後、段階的にリハビリテーションを進めていきますが、骨癒合が確認されるまでは負荷の強い活動は避ける必要があります。
手術の合併症としては、スクリューの緩み、感染、神経や血管の損傷などが報告されています。また、手術を行っても骨癒合が得られない場合や、骨壊死を生じる場合もあり、特に近位部骨折では注意が必要です。
偽関節になると専門医でも手術は難しくなるため、早期発見と適切な治療が非常に重要です。
舟状骨骨折の最も重要な合併症は偽関節の形成です。偽関節とは、骨折した骨がつかず、関節のように動く状態を指します。舟状骨骨折は、その解剖学的特性や血行の乏しさから、他の骨折と比較して偽関節を形成するリスクが高いことが知られています。
偽関節を放置すると、手首全体が悪くなってくることが多く、手関節の変形や痛み、機能障害が進行することになります。具体的には、以下のような問題が生じる可能性があります。
舟状骨骨折の長期予後に影響を与えるもう一つの重要な合併症として、骨壊死(無腐性壊死)があります。特に近位部の骨折では、骨折部より近位側への血流が途絶えることで骨壊死を生じるリスクが高まります。骨壊死を伴う舟状骨骨折は治療が特に困難であり、手術を行っても骨癒合率が低下します。
最新の研究によると、適切に治療された舟状骨骨折でも、10年以上の経過観察で約20%に何らかの変形性変化が認められることが報告されています。特に、骨折線が関節面を横切るような症例では、将来的に変形性関節症のリスク因子となる可能性が示唆されています。
若年期に舟状骨骨折を経験した患者の長期フォローアップ研究では、適切に治療され骨癒合が得られた症例でも、健側と比較して握力の低下や関節可動域の制限が残存することがあります。このことから、舟状骨骨折は完全に治癒した後も、手関節機能に長期的な影響を及ぼす可能性があることが分かっています。
予防的観点からは、手首のマッサージやストレッチを日常的に行うことが推奨されます。特にスポーツ活動中の受傷が多いことから、手首のプロテクターやサポーター、テーピングなどの使用が有効です。スノーボードなどの高リスク競技では、専用の手首プロテクターの着用によって舟状骨骨折のリスクが大幅に低減するという研究結果も報告されています。
医療従事者として舟状骨骨折に対応する際には、これらの長期予後を考慮し、早期診断と適切な治療介入を心がけることが重要です。特に、若年層での舟状骨骨折は将来的に手関節機能に影響を及ぼす可能性があることを念頭に置き、慎重な治療計画の立案と長期的なフォローアップが必要となります。
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舟状骨骨折は見逃されやすく治療が難しい骨折ですが、早期発見と適切な治療によって良好な予後が期待できます。本記事で解説した解剖学的特徴、症状、診断方法、治療法、合併症などの知識が、臨床現場での適切な対応に役立つことを願っています。特に手首の痛みを訴える患者さんを診察する際には、舟状骨骨折の可能性を念頭に置いた診療アプローチが重要です。