グラム陽性菌のペプチドグリカン層は、細菌の生存に必要な最も重要な構造の一つです。グラム陽性菌では、細胞膜の外側に20~80nmという非常に厚いペプチドグリカン層が存在し、これは細菌の乾燥重量の約90%を占めています 。この厚さはグラム陰性菌の7~8nmと比べて約10倍の厚さを有しており、グラム陽性菌の構造的特徴を決定づけています 。
参考)ペプチドグリカン - Wikipedia
ペプチドグリカンの基本構造は、N-アセチルグルコサミン(GlcNAc)とN-アセチルムラミン酸(MurNAc)という2種のアミノ糖が交互に繰り返す多糖鎖に、短いペプチド鎖が結合した網目状の高分子化合物です 。この網目構造により、細菌は外部からの浸透圧や物理的ストレスから細胞膜を保護することができます 。
参考)【連載】エンドトキシン便り「第6話 ペプチドグリカンについて…
グラム陽性菌のペプチドグリカンは「リジン型」と呼ばれる特徴的な構造を持ちます。ムラミン酸のカルボキシル基には、L-アラニン、D-イソグルタミン、L-リジン、D-アラニンからなるテトラペプチドサブユニットが結合しています 。このテトラペプチドサブユニット同士は、5個のグリシンからなるペプチド架橋により連結され、強固な網目構造を形成します 。
この構造的特徴は、グラム陰性菌のペプチドグリカンとは明確に異なります。グラム陰性菌では、リジンの代わりにmeso-ジアミノピメリン酸(DAP)が使用され、架橋も直接的な結合となっています 。この違いは、細菌の分類学的特徴として重要な意味を持ちます 。
参考)https://www.microbio.med.saga-u.ac.jp/lecture/cellbio/h11/g2/
グラム陽性菌の細胞壁には、ペプチドグリカンに加えてタイコ酸という特徴的な成分が存在します。タイコ酸は壁タイコ酸(WTA)とリポタイコ酸(LTA)の2種類に分類され、どちらもグラム陽性菌に特有の構造です 。
参考)https://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2013/05/84-09-02.pdf
壁タイコ酸は、ペプチドグリカンに二糖と3分子のグリセロールリン酸が結合した基盤構造に、リビトールリン酸の繰り返し構造が結合したポリマーです 。一方、リポタイコ酸は細胞膜の脂質に結合したアニオン性ポリマーで、細胞表層の機能調節に重要な役割を果たします 。これらのタイコ酸は、ペプチドグリカン分解酵素の活性調節、高温での細胞膜安定性、および宿主との相互作用に関与していることが明らかになっています 。
参考)https://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=123827
ペプチドグリカンの合成は、細菌の細胞分裂および細胞伸長と密接に関連しています。細胞が伸長する際には、細胞の側面でペプチドグリカンの合成が行われ、細胞分裂時には分裂面で隔壁として新たなペプチドグリカンが合成されます 。
参考)https://kaken.nii.ac.jp/en/file/KAKENHI-PROJECT-22370067/22370067seika.pdf
この過程では、FtsZという細胞骨格タンパク質が細胞分裂面にリング状に配置し、分裂複合体(Divisome)の形成を誘導します 。この分裂複合体には、ペプチドグリカン合成酵素(PBP3)と分解酵素の両方が含まれており、隔壁の形成と最終的な娘細胞の分離を制御しています 。興味深いことに、隔壁合成酵素は通常不活性な状態で存在し、細胞分裂のタイミングに合わせて活性化される精密な制御機構が存在します 。
参考)https://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2013/06/85-05-06.pdf
ペプチドグリカンは、多くの抗菌薬の重要な標的となっています。特に、β-ラクタム系抗菌薬(ペニシリン系、セフェム系)とバンコマイシンは、ペプチドグリカン合成の異なる段階を阻害することで抗菌効果を発揮します 。
参考)抗菌薬
β-ラクタム系抗菌薬は、D-アラニル-D-アラニンと構造的に類似しており、ペニシリン結合タンパク質(PBP)に結合してペプチドグリカンの架橋形成を阻害します 。その結果、細胞壁が脆弱になり、細菌は内圧により破裂して死滅します 。一方、バンコマイシンはペプチドグリカン末端に直接結合し、細胞壁の合成を阻害する異なる機序で作用します 。
参考)e-REC
これらの抗菌薬が効果的である理由は、ペプチドグリカンが細菌にのみ存在し、ヒトなどの宿主細胞には存在しない構造だからです。したがって、選択毒性が高く、安全な治療薬として使用できるのです 。