脱水素酵素とNADHの働きと臨床的意義

脱水素酵素とNADHは生体内の酸化還元反応の中心として、エネルギー代謝や電子伝達系において重要な役割を担っています。代謝経路での働き、臨床検査への応用、治療への可能性について、医療従事者が知っておくべき知識を網羅的に解説します。これらの分子システムが、どのように疾患診断や治療に関わっているのでしょうか。

脱水素酵素とNADHの基礎

この記事のポイント
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酸化還元反応の中核

NADHは脱水素酵素の補酵素として、基質から水素を受け取り電子伝達を担います

エネルギー産生の鍵

ミトコンドリア電子伝達系でNADH1分子からATP3分子が生成されます

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臨床診断への応用

乳酸脱水素酵素など複数の脱水素酵素が疾患マーカーとして測定されています

脱水素酵素の定義と補酵素NADH

脱水素酵素(デヒドロゲナーゼ)は、NAD+やNADP+、FAD、FMNなどの補酵素を用いて基質から水素原子を奪い取る酸化還元酵素です。この反応により基質は酸化され、補酵素は還元されます。NADHは酸化型のNAD+が電子2個と水素イオン1個を受け取った還元型であり、生体内の酸化還元反応において電子供与体として機能します。
参考)脱水素酵素 - Wikipedia

NADH(還元型ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)は、解糖系やクエン酸回路などの代謝経路で生成される重要な補酵素です。NADHとNAD+の酸化還元対は、細胞の酸化状態を反映し、生体システムのエネルギー産生能力を示す指標となります。この分子は、ニコチンアミド環が直接水素の受け渡しに関与しており、アデニン環は関与しないという構造的特徴を持っています。
参考)乳酸脱水素酵素 (Lactate Dehydrogenase…

脱水素酵素は補酵素の種類により分類されます。NAD+やNADP+を補酵素とするピリジン酵素には、乳酸脱水素酵素、リンゴ酸脱水素酵素、グルタミン酸デヒドロゲナーゼなどがあります。一方、FADやFMNを補酵素とするフラビン酵素には、コハク酸脱水素酵素などが含まれます。
参考)脱水素酵素(ダッスイソコウソ)とは? 意味や使い方 - コト…

脱水素酵素とNADHのエネルギー代謝における役割

NADHは解糖系とクエン酸回路において中心的な役割を果たします。解糖系では、グルコースから得られた水素がNAD+に渡されてNADHが生成されます。通常の酸素呼吸では、この水素は最終的に酸素に受け渡されて水になりますが、酸素が不足する無酸素条件下では、乳酸脱水素酵素がピルビン酸とNADHから乳酸とNAD+を生成します。この反応によりNAD+がリサイクルされ、解糖系を継続させることで短時間の高強度運動に必要なATPを供給できます。​
クエン酸回路では、ピルビン酸から活性酢酸への変換、クエン酸からα-ケトグルタル酸、α-ケトグルタル酸からコハク酸、リンゴ酸からオキサロ酢酸への各反応において、NADHの形で水素が放出されます。一方、コハク酸からフマル酸への反応では、コハク酸脱水素酵素によりFADH2が生成されます。これらの反応により、1分子のグルコースから合計10分子のNADHと2分子のFADH2が生成され、これが電子伝達系でのATP産生の原動力となります。
参考)【高校生物】「クエン酸回路」

ミトコンドリアの電子伝達系では、複合体I(NADH脱水素酵素)が重要な入り口酵素として機能します。複合体IはNADHから電子を受け取り、フラビンモノヌクレオチド(FMN)を介して鉄-硫黄クラスターを経由し、最終的にユビキノンへ電子を伝達します。この過程でNADH1分子あたり4個のプロトンがマトリックスから膜間腔へ汲み出され、プロトン勾配が形成されます。このプロトン勾配がATP合成酵素を駆動し、NADH1分子から約3分子のATPが生成されます。
参考)NADH:ユビキノン還元酵素 (水素イオン輸送型) - Wi…

脱水素酵素の種類と基質特異性

脱水素酵素は基質特異性により多様な種類が存在します。乳酸脱水素酵素(LDH)は、乳酸とピルビン酸の間の可逆反応を触媒し、NADHを補酵素として必要とします。この反応は生理的条件下では乳酸生成方向に進み、pH9.5以上の非生理的条件ではピルビン酸生成方向に進みます。LDHは5種類のアイソザイムに分類され、組織特異性を持つため、どのアイソザイムが上昇しているかにより障害部位を推定できます。
参考)LDHの定量法 (検査と技術 7巻7号)

リンゴ酸脱水素酵素は、ミトコンドリア型と細胞質型の2種類が存在し、NADHシャトル系において協調的に働きます。細胞質で生成されたNADHは直接ミトコンドリア内膜を透過できないため、細胞質のリンゴ酸脱水素酵素がNADHを消費してオキサロ酢酸をリンゴ酸に変換します。このリンゴ酸がミトコンドリアに輸送され、ミトコンドリアのリンゴ酸脱水素酵素によりオキサロ酢酸に戻されることでNADHが再生成されます。
参考)Journal of Japanese Biochemica…

イソクエン酸脱水素酵素は、クエン酸回路の重要な調節点として機能し、イソクエン酸から炭素原子を取り出して二酸化炭素を生成し、電子をNADHに転移します。コハク酸脱水素酵素(複合体II)は、FADを補酵素とする例外的な脱水素酵素であり、クエン酸回路と電子伝達系の両方に関与します。α-ケトグルタル酸脱水素酵素複合体は、ピルビン酸脱水素酵素複合体と類似した巨大な多酵素複合体であり、炭素原子を二酸化炭素として放出し、電子をNADHに転移させます。
参考)https://www.pharm.or.jp/words/word00622.html

脱水素酵素とNADHの臨床検査への応用

乳酸脱水素酵素(LDH)は最も広く測定される脱水素酵素であり、肝臓、心臓、筋肉、肺、血液など多くの組織に含まれるため、様々な疾患で値が上昇します。基準値は124~222U/Lですが、急性肝炎、慢性肝炎、白血病、心筋梗塞、悪性貧血などで高値を示します。LDHは組織障害により細胞外に放出されるため、細胞が何らかの損傷を受けている可能性を示す非特異的なマーカーです。
参考)LD(LDH、乳酸脱水素酵素)(血液)

LDHアイソザイムの測定により、より詳細な診断が可能になります。LDHは5種類のアイソザイムに分類され、LDH1とLDH2は主に心筋に、LDH3は肺に、LDH4とLDH5は肝臓と骨格筋に多く分布します。どのアイソザイムが上昇しているかにより障害臓器を推定できるため、心筋梗塞、肝疾患、溶血性貧血などの鑑別診断に有用です。
参考)乳酸脱水素酵素(LDH、LD) - みんなの家庭の医学 WE…

脱水素酵素を利用した測定法は、NADHの吸光度変化を利用します。NADHは波長340nmに特徴的な吸収を持つため、この波長での吸光度変化を測定することで、酵素活性や基質濃度を定量できます。クレアチンの測定では、クレアチンアミジノヒドロラーゼとホルムアルデヒド脱水素酵素を組み合わせ、生成されるNADHの増加を340nmで測定します。
参考)https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/ivdDetail/ResultDataSetPDF/480585_20100AMZ00238000_A_01_01

化学発光法や酵素サイクリング法を用いることで、NADHの超高感度測定が可能です。1-メトキシフェナジンメトサルフェートやイソルミノール/マイクロペロキシダーゼによる化学発光分析法では、NADHを2pmol/assayという高感度で測定できます。さらにNAD/NADH酵素サイクリング反応を利用した増幅化学発光測定法では、感度が3×10^-14 mol/Lまで向上します。
参考)KAKEN href="https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-63571112/" target="_blank">https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-63571112/amp;mdash; 研究課題をさがす

脱水素酵素とNADHの治療応用と研究の最前線

NADHサプリメントは、エネルギー代謝の改善や抗酸化作用を目的として研究されています。NADHは細胞内のATP産生を増加させることで、疲労軽減やエネルギー向上に寄与する可能性があります。スペインの臨床試験では、慢性疲労症候群や線維筋痛症の治療におけるNADHの効果が検討されています。NADHは従来、胃酸により分解されるため静脈内投与しか選択肢がありませんでしたが、腸溶性コーティングにより経口投与でも細胞内レベルを上昇させることが証明されました。
参考)NADH ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)+水…

神経変性疾患におけるNADHの治療可能性も注目されています。ミトコンドリア機能障害を特徴とする神経変性疾患では、NADHがDNA修復を促進し、ミトコンドリア機能を改善することで疾患進行を予防または遅延させる可能性があります。アルツハイマー病患者の精神機能改善、パーキンソン病患者の身体障害最小化、うつ病の緩和におけるNADHの価値についても研究が進められています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11116151/

統合失調症における酸化還元調節異常も、in vivoでのNAD+/NADH測定により明らかになっています。NAD+とNADHの酸化還元バランスは細胞の酸化状態を反映し、酸化ストレス、ミトコンドリア機能障害、神経炎症との関連が示唆されています。NADHとNAD+の比率を適切に維持することが、エネルギー産生能力と細胞の健全性に重要であることが明らかになっています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5216857/

薬剤開発の標的としても脱水素酵素は重要です。ミトコンドリア電子伝達系複合体I(NADH酸化還元酵素)および複合体II(コハク酸脱水素酵素)は、殺菌剤や抗寄生虫薬の標的として利用されています。結核菌においては、NADH脱水素酵素の同時阻害が殺菌効果を示すことが実証されており、新規抗菌薬開発の可能性が示されています。NADH脱水素酵素は、適切なNADH/NAD+比の維持と電子伝達系への電子供給という2つの生理的役割を持つため、その阻害は致死的な効果をもたらします。
参考)SARを基盤にミトコンドリア複合体-I阻害剤の作用機構を考え…

脱水素酵素とNADHの測定技術と今後の展開

NAD+/NADHの比率測定は、細胞のエネルギー状態や酸化還元バランスを評価する重要な指標です。NAD+とNADHは物理化学的には同等の還元力を持ちますが、細胞は両者を使い分けることで代謝経路を制御しています。動物細胞では、脂肪酸を酸化してエネルギー源として消費する異化反応にはNAD+/NADHを利用する酵素が使われ、脂肪酸を合成する同化反応にはNADP+/NADPHを利用する酵素が使われます。この使い分けにより、細胞はエネルギー供給の過不足に応じて反応方向を制御し、環境変化に適応します。
参考)NAD+とNADP+

電気化学的手法によるNADH測定技術も発展しています。酸素非依存型NADH酸化酵素と電気化学的FAD補酵素再生を統合することで、NADHの酸化とバイオセンシングが可能になります。これらの改変酵素は溶液中では活性が大幅に低下または不活性ですが、電気化学的にはNADHからNAD+への変換に対して活性を示し、活性部位でのFAD補酵素再生が成功していることが実証されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11423319/

in vivoでのNAD+/NADH測定技術の進歩により、生体内での酸化還元状態をリアルタイムで評価することが可能になっています。統合失調症などの精神疾患における酸化還元調節異常は、in vivo測定により初めて明らかになりました。遺伝子コード化されたツールを用いて細胞内NADH/NAD+比を増加させる技術も開発されており、還元ストレスのモデル化や代謝研究への応用が期待されています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11045668/

ミトコンドリア代謝を詳細に理解するためのメタボロミクス技術も進展しています。NADHシャトル系の解析により、肝臓、腎臓、心臓のミトコンドリアにおける電子輸送機構が明らかになっています。細胞質で生成されたNADHは、リンゴ酸-アスパラギン酸シャトルやグリセロール-3-リン酸シャトルを介してミトコンドリアに輸送され、効率的なエネルギー産生が実現されます。これらのシャトル系の解析は、代謝疾患の病態理解と治療法開発に貢献します。​
複合体Iの高解像度構造解析により、触媒機構とプロトン輸送の詳細が明らかになっています。哺乳類と酵母の複合体Iのクライオ電子顕微鏡解析により、2.7Å分解能での構造が決定され、NADHによるユビキノン還元反応とプロトン輸送が連動するメカニズムが解明されつつあります。ユビキノン結合部位と連結したND1のキャビティ構造も明らかになり、虚血再灌流障害に関連する不活性型複合体Iの構造変化も解析されています。これらの知見は、ミトコンドリア疾患の病態理解と治療薬開発に重要な基盤を提供します。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7612091/