細胞膜のリン脂質に結合しているアラキドン酸は、ホスホリパーゼA2の作用により細胞質内に遊離されます。この遊離されたアラキドン酸は、アラキドン酸カスケードと呼ばれる代謝経路を経て、シクロオキシゲナーゼ(COX)により酸素分子が付加され、プロスタグランジンG2(PGG2)へと変換されます。COXは単一の酵素でありながら、シクロオキシゲナーゼ活性とペルオキシダーゼ活性の両方を有しており、PGG2からPGH2への変換も同じ酵素によって触媒されます。
参考)研修医宿題19
PGH2は共通の前駆体として、各プロスタグランジン合成酵素により4種類のプロスタグランジン(PGD2、PGE2、PGF2α、PGI2)とトロンボキサンA2(TXA2)に変換されます。これらの生理活性脂質は総称してプロスタノイドと呼ばれ、それぞれDP、EP、FP、IP、TPと呼ばれる選択的なGタンパク質共役型受容体に結合して多様な生理作用を発揮します。
参考)杉本准教授研究内容
脳科学辞典のプロスタグランジン項目では、生合成経路と受容体の詳細が解説されています。
アラキドン酸は、脳、肝臓、皮膚など体内のあらゆる組織に存在する細胞膜を構成するリン脂質の主要な成分です。特に脳には多く存在し、細胞膜に流動性と柔軟性を与えることで、神経系、骨格筋、免疫系のすべての細胞機能に必須の役割を果たしています。アラキドン酸は食事から摂取されるほか、植物由来の必須脂肪酸であるリノール酸の不飽和化と鎖延長によっても体内で合成されます。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6052655/
細胞膜のリン脂質中のアラキドン酸含量は食事摂取によって調節されますが、興味深いことに西洋型食事を摂取している成人では、リノール酸の摂取量を最大6倍に増やしても血漿や赤血球中のアラキドン酸濃度に有意な変化は見られないという報告があります。脳の灰白質を構成する脂肪酸の約25%をアラキドン酸とDHAが占めており、神経成長や分化、学習能力や認知応答力の向上に関与しています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8003191/
プロスタグランジンは、その構造と受容体の違いにより多様な生理作用を示します。PGD2、PGE2、PGF2αは血管拡張作用を持ち、特にPGE2は全身作用として発熱に関与する重要なメディエーターです。PGE2は発熱や痛覚過敏、炎症惹起など多彩な生理作用を発揮し、4種類の受容体(EP1~EP4)を介してその作用を発揮します。
参考)プロスタグランジン − 歯科辞書|OralStudio オー…
PGI2(プロスタサイクリン)は主に血管内皮細胞で産生され、血管拡張と血小板凝集阻害作用を有し、循環動態のホメオスタシス維持に重要な役割を果たします。一方、トロンボキサンA2は血管収縮と血小板凝集促進効果を持ち、PGI2とは正反対の作用を示します。この2つの物質のバランスが崩れると血栓形成のリスクが高まるため、医療現場では注意深いモニタリングが必要です。
参考)循環器用語ハンドブック(WEB版) プロスタサイクリン
プロスタグランジンは局所で作用した後、速やかに代謝される特徴があり、生体の局所でホメオスタシスを維持するために働いています。循環器・消化器・骨の恒常性維持、生殖器の機能、局所炎症に伴う血管透過性亢進、細胞性免疫応答など全身の様々な機能を担っています。
参考)プロスタグランジン - 脳科学辞典
シクロオキシゲナーゼ(COX)は、アラキドン酸カスケードの律速段階の酵素として機能しており、COXを抑制することでプロスタグランジンの合成が抑制されます。COXには構成型のCOX-1と誘導型のCOX-2の2つのアイソフォームが存在し、それぞれ異なる生理的役割を担っています。
参考)研究・開発の窓│プロスタグランジン産生機構の研究から、新たな…
COX-1は胃粘膜保護作用を有するPGE2とPGI2の合成に関与しており、生理的な機能維持に重要です。一方、COX-2は炎症刺激により発現が誘導され、炎症部位でのプロスタグランジン産生に主要な役割を果たします。興味深いことに、COX-2はPGE2だけでなくPGI2の生合成反応にも関わっているため、選択的COX-2阻害薬を使用すると血小板凝集抑制・血管拡張作用を有するPGI2が減少し、トロンボキサンA2とのバランスが崩れて血栓ができやすくなるという副作用が知られています。
参考)https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4759316/
COXは、アラキドン酸に酸素分子を付加するリポキシゲナーゼ活性とPGG2からPGH2を合成するペルオキシダーゼ活性の両方を有する多機能酵素です。分子動力学シミュレーション研究により、COXの活性部位でアラキドン酸がL字型の立体配座をとり、カルボキシル基がArg-120に結合し、ω末端がSer-530の上に位置することが明らかになっています。
参考)301 Moved Permanently
アラキドン酸代謝は炎症、疼痛、発熱などの病態生理において中心的な役割を果たしています。細胞が傷害を受けると炎症反応が起こり、その修復過程においてアラキドン酸由来の代謝産物が重要な働きをします。プロスタグランジンE2は炎症部位での疼痛刺激反応を増強し、好中球で産生されるPGE2が痛覚過敏に関与しています。
参考)薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会新開発食品調査部会新開発食…
発熱メカニズムにおいて、PGE2は脳内で作用する必須の脂質因子であることが知られています。最近の研究で、発熱に関わるPGE2が脳内マリファナ様物質として知られる2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)の分解により産生されることが発見され、従来のリン脂質分解経路とは異なる新たな産生機序が明らかになりました。
参考)https://www.m.u-tokyo.ac.jp/news/admin/release_20150721.pdf
膜結合型PGE合成酵素-1(mPGES-1)は、悪玉作用を示すPGE2の産生を担う重要な酵素です。mPGES-1遺伝子ノックアウトマウスを用いた研究では、この酵素が欠損すると疼痛反応の抑制、関節炎の抑制、がん細胞の増殖・転移の抑制、大腸の発がん抑制、アルツハイマー病様症状の軽減などが起きることが示されており、新規治療薬の標的として注目されています。
プロスタグランジン関連薬は臨床医療において幅広く応用されています。非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)は、COXを阻害してプロスタグランジン類の産生を抑制することで解熱、鎮痛、抗炎症効果を発揮します。NSAIDsはアラキドン酸カスケードのシクロオキシゲナーゼを阻害することでその効力を発揮しますが、生理的に重要なプロスタグランジンの合成も抑制するため、様々な副作用を引き起こすことが知られています。
参考)第73回 NSAIDsの胃腸障害はなぜ起こるの?
主な副作用として、胃腸障害、腎機能障害、血圧上昇、出血傾向などがあります。特に胃腸障害は、COX-1が阻害されることにより胃粘膜保護作用を有するPGE2とPGI2の合成が阻害されるためと考えられています。消化性潰瘍のある患者では禁忌であり、必要な場合にはプロトンポンプ阻害薬やH2ブロッカーといった胃薬を予防的に併用します。
参考)NSAIDs:どんな薬?薬局で買えるの?副作用や使えない人は…
プロスタグランジン製剤としては、PGE1誘導体のアルプロスタジルが慢性動脈閉塞症や動脈管依存性先天性心疾患、褥瘡や皮膚潰瘍の治療に用いられています。PGI2誘導体のベラプロストナトリウム、イロプロスト、エポプロステノールナトリウム、トレプロスチニルは原発性肺高血圧症や肺動脈性肺高血圧症(PAH)の治療に使用されています。
参考)https://kpu-journal.sakura.ne.jp/wp/wp-content/themes/kpu-journal/assets/pdf/132-6-04%E7%89%B9%E9%9B%86%EF%BC%88%E5%8B%9D%E5%B1%B1%E5%85%88%E7%94%9F%EF%BC%89.pdf
日本疼痛クリニック学会のNSAIDs解説では、医療従事者向けに詳しい作用機序と副作用管理が説明されています。
近年では、COXではなく、プロスタグランジンの最終合成酵素を標的とする新しいNSAIDsの開発が進められています。特にmPGES-1を標的とした薬剤は、悪玉作用を示すPGE2の産生を選択的に抑制しながら、PGI2などの善玉プロスタグランジンの産生には影響しないため、従来のNSAIDsよりも副作用の少ない治療薬として期待されています。
アトピー性皮膚炎病変部においてもプロスタグランジン合成酵素の発現が上昇しており、特定のプロスタグランジン受容体を標的とした新規治療薬の開発研究も進められています。プロスタグランジン産生機構の理解が深まることで、より安全性の高い解熱剤や抗炎症剤、さらには抗がん薬の開発につながることが期待されています。
参考)https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-19K08790/19K08790seika.pdf