年間薬剤費が約1,500万円のエンスプリングを「高すぎて処方できない」と思い込むと、難病患者が月0円で使える制度を見逃します。

エンスプリング(一般名:サトラリズマブ〔遺伝子組換え〕)は、2020年8月26日に薬価基準へ収載された視神経脊髄炎スペクトラム障害(NMOSD)治療薬です。薬価は現在1筒1,150,216円で、1mLの液量に120mgのサトラリズマブを含む皮下注射製剤として位置づけられています。
収載時の算定方式は「原価計算方式」が採用されました。これは既存の類似薬がなく、比較対象となる薬剤を探しにくい場合に用いられる方式です。原価計算方式で算出された基礎薬価105万7,007円に対し、最終的に複数の加算が上乗せされた点が、この薬の薬価形成において特に重要なポイントです。
加算の内訳は3種類から構成されています。まず、IL-6シグナル伝達を阻害してアストロサイトの傷害を抑制するという新規作用機序を持つことから、有用性加算Ⅰ(35%)が付与されました。次に、希少疾病用医薬品に指定されていることによる市場性加算Ⅰ(10%)が加算されています。さらに、新薬創出等加算の対象品目にも認定されており、薬価改定時に一定期間、薬価の引き下げが緩和される仕組みが設けられていました。
これは重要なポイントです。有用性加算35%というのは、最高水準の「画期性加算(50〜100%)」に次ぐ高い評価区分に相当します。中外製薬が独自に開発したリサイクリング抗体技術の初適用という技術的新規性も、この高評価に寄与しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 販売名 | エンスプリング皮下注120mgシリンジ / オートインジェクター |
| 一般名 | サトラリズマブ(遺伝子組換え) |
| 薬価(2025年4月時点) | 1,150,216円/筒 |
| 収載日 | 2020年8月26日 |
| 算定方式 | 原価計算方式 |
| 有用性加算 | Ⅰ(35%) |
| 市場性加算 | Ⅰ(10%) |
| 新薬創出等加算 | 対象(収載時) |
医療従事者が薬価算定の背景を理解しておくことは、患者への説明精度にも直接影響します。「なぜこれほど高いのか」という問いに対して、新規作用機序・希少疾病・独自技術という3つの軸で説明できると、患者・家族との信頼関係構築にも役立ちます。
参考リンク(薬価収載時の有用性加算・算定の経緯)。
薬事日報「エンスプリングに有用性加算35%ー26日付で25品目薬価収載」
収載時に高い評価を受けたエンスプリングですが、薬価が固定され続けたわけではありません。2024年4月の薬価改定において、エンスプリング皮下注120mgシリンジは市場拡大再算定の適用を受け、薬価が25.0%引き下げられました。
市場拡大再算定とは、収載後に実際の販売額が薬価算定時の予測額を大きく上回った場合に、薬価を引き直す制度です。簡単にいえば、「売れすぎた薬の価格を修正する」仕組みです。エンスプリングが市場拡大再算定の対象となった背景には、NMOSDという希少疾患でありながら、適応が確立された患者への普及が予測を超えて進んだことが挙げられます。
引き下げ前後の年間薬剤費の変化は医療現場でも大きな話題になりました。引き下げ前の年間薬剤費は約2,000万円水準でしたが、2024年4月以降は年間約1,500万円(正確には約1,495万円)となっています。維持期の投与間隔である4週間ごとに1本使用すると年間13本、1本1,150,216円×13本=約14,952,808円という計算になります。これは東京ドームの年間シートSS指定席を約500席分購入するほどの金額です。具体的なイメージが難しい数字ですが、超高額薬剤の範疇であることは変わりありません。
つまり、薬価改定によって「高すぎて使えない」という障壁が一部緩和されたということです。
25%の引き下げは決して小さくはありません。ただし、この引き下げが「薬の価値が下がった」ことを意味するわけではなく、市場規模の現実化に伴う制度的な調整という意味合いです。医療機関でレセプト請求を行う際は、薬価改定のたびに最新の薬価を確認することが欠かせません。薬価を旧バージョンのまま入力すると過大または過少請求につながるため、特に2024年4月をまたぐ時期の請求には注意が必要です。
| 時期 | 薬価(1筒) | 年間薬剤費(維持期・概算) |
|---|---|---|
| 2020年8月(収載時) | 約142万円 | 約1,850万円 |
| 2024年3月31日まで | 約153万円前後 | 約2,000万円水準 |
| 2024年4月1日以降 | 1,150,216円 | 約1,495万円 |
参考リンク(2024年度薬価改定・市場拡大再算定の詳細)。
ミクスonline「24年度薬価改定を告示、エンスプリングが25%引き下げ」
エンスプリングを処方・算定する際には、通常の高額薬剤以上に算定要件の確認が重要です。保険請求において見落としが起きやすい点を順に整理します。
まず、最も重要な条件が「抗AQP4抗体陽性の確定診断が行われた患者にのみ投与する」という絶対条件です。添付文書および保険診療の留意事項通知(令和3年8月31日付け保医発0831第1号)においても、AQP4抗体陽性であり、かつNMOSDの確定診断が行われた場合にのみ投与することが明記されています。臨床試験でもAQP4抗体陰性患者への有効性は限られているとのデータが示されており、医学的根拠と保険要件が一致しています。
レセプトの摘要欄への記載も必須事項です。具体的には、「投与以前に抗アクアポリン4(AQP4)抗体検査を実施した場合は、検査結果を記載すること」と定められています。この記載漏れは、審査支払機関での確認対象になり得るため、レセプト作成担当者・処方医の双方が意識しておく必要があります。記載漏れが査定につながると、施設の収益に直接影響します。これは見逃せないポイントです。
在宅自己注射(C101在宅自己注射指導管理料)に関しては、2021年9月1日からエンスプリングがサトラリズマブ製剤として在宅自己注射の対象薬剤に追加されています。患者が自己注射を行っている場合、在宅自己注射指導管理料(C101)の算定が可能です。一方で、エンスプリングは「針付注入器一体型のキット」であるため、注入器加算(C151)および注入器用注射針加算(C153)は算定できません。
「C151が取れると思っていたが実は取れなかった」というケースは実臨床でも起こりやすいミスです。薬局や病院の算定担当者は、この点を社内のマニュアルに明示的に記載しておくことが請求ミスの予防につながります。
参考リンク(エンスプリングの保険算定に関する留意事項・在宅自己注射の要件)。
厚生労働省保険局医療課「療担規則等の一部改正について(令和3年8月31日保医発0831第1号)」
年間約1,495万円という薬価の数字を見て、「処方しても患者が払えない」という先入観を持つ医療従事者は少なくありません。しかし実際には、NMOSDは指定難病(難病法に基づく)であるため、条件を満たした患者には医療費助成が適用されます。
指定難病の医療費助成を受けた場合、医療費の自己負担割合はまず3割から2割に引き下げられます。さらに、所得区分に応じた「月額自己負担上限額」が設定されており、どれだけ医療費がかかっても月ごとの支払いはその上限を超えません。
自己負担上限額の月額は所得区分によって異なり、低所得区分では月0円、一般所得Ⅰ(市町村民税課税以上・7.1万円未満)では月10,000円、一般所得Ⅱ(7.1万円以上)では月20,000円、高額所得者では月30,000円が上限となっています。「高額かつ長期」認定(月の医療費総額が5万円を超える月が年間6回以上)の場合は、さらに上限が引き下げられます。
つまり、適切に申請手続きを踏んだ患者にとって、月数万円という出費だけで年間1,500万円の薬を使い続けることができるのです。これは制度の大きなメリットです。
医療従事者として意識したいのは、「難病医療費助成の申請は自動的に行われるわけではない」という点です。患者や家族が制度の存在を知らないまま、高額な3割負担を支払い続けるケースが実際に起きています。処方時に難病医療費助成制度の説明と申請案内を行うことは、処方医・薬剤師・医療相談員のいずれにとっても重要な役割です。
なお、難病医療費助成に加えて高額療養費制度を組み合わせることで、さらに自己負担を抑えられるケースもあります。患者の所得状況によって最適な制度の組み合わせが変わるため、医療ソーシャルワーカーや医事担当部門との連携が推奨されます。
参考リンク(NMOSDの難病医療費助成・自己負担上限額の詳細)。
NMOSDナビ「支給認定後の自己負担額」(難病情報センターデータ引用)
エンスプリングに関して処方コストや薬価の側面は注目されますが、安全管理の観点から意外と周知されていない点があります。それは「CRPなどの急性期炎症反応が抑制されるため、感染症が重篤化しても発熱等の典型的症状が出にくい」という薬理特性です。
IL-6は炎症の中心的なサイトカインであり、発熱・CRP上昇・白血球増多といった感染症の典型的症状を引き起こす役割を担っています。エンスプリングはこのIL-6のシグナル伝達を阻害するため、感染症にり患した際にも身体が「感染のサイン」を発しにくくなります。臨床的には「熱がないから大丈夫」と判断してしまうことで、敗血症や重篤な肺炎が発見遅延するリスクが高まるのです。
この点は、処方する神経内科医だけでなく、患者が受診する可能性のある救急科・内科・かかりつけ医など、複数の診療科の医療従事者が共有しておくべき情報です。
エンスプリングカードの提示推奨も重要な対策です。患者が外来・救急受診した際に、エンスプリング使用中であることをカードで提示することで、診療科を問わず医療従事者がIL-6阻害剤使用中というコンテキストを即座に把握できます。処方時の患者指導の中でカード携帯の習慣化を促すことは、医療安全上の有意義な介入です。
さらに、生ワクチン接種が禁忌である点も処方管理で見落とされやすいポイントです。不活化ワクチン(インフルエンザ・肺炎球菌・新型コロナなど)は接種可能ですが、水痘や帯状疱疹の生ワクチンは禁忌となります。特に帯状疱疹ワクチンは現在2種類(シングリックス〔不活化・接種可〕とビケン〔生ワクチン・禁忌〕)あるため、ワクチン担当者との情報共有が欠かせません。
保管の点でも注意が必要です。エンスプリングは2〜8℃冷蔵保管が原則ですが、室温(30℃以下)での保管は「合計8日以内」というルールがあります。患者指導では「旅行や外出時の持ち運び方法」についても具体的に説明し、薬剤の品質管理が適切に行われるよう支援することが薬局・病院薬剤師の重要な役割となります。
参考リンク(エンスプリングの副作用・安全管理・ワクチン接種の詳細)。
MSキャビン「視神経脊髄炎(NMOSD)エンスプリング解説」(複数の脳神経内科専門医が医療監修)