非結核性抗酸菌症(NTM症)は、結核菌と似た細菌学的特性を持つものの、結核菌以外の抗酸菌によって引き起こされる慢性的な肺感染症です。特筆すべき点として、結核と異なり人から人への感染はしないという特徴があります。
原因となる非結核性抗酸菌は150種類以上存在していますが、日本における症例の約90%を占めるのがマイコバクテリウム・アビウム複合体(MAC)です。MACはさらにM. aviumとM. intracellulareに分類されます。その他にも、M. kansasii(約4%)やM. abscessus(約3%)などが原因菌として知られています。M. abscessusは特に治療抵抗性があり、さらにM. abscessus subsp. massilienzeとM. abscessus subsp. abscessusに細分化されます。
非結核性抗酸菌の感染経路としては、主に環境中の菌を吸入することで感染が成立します。具体的には以下のような環境が感染源となる可能性があります。
近年の研究では、シャワーヘッドにバイオフィルムとして定着した非結核性抗酸菌が感染源となるケースが注目されています。米国のコロラド大学の研究チームによる調査では、一般家庭のシャワーヘッドから採取したサンプルの30%以上からMACが検出されたという報告もあります。
結核. 2019;94(10):501-513 非結核性抗酸菌症の疫学と最近の動向
非結核性抗酸菌症は全世界的に増加傾向にあり、日本においても患者数が増加しています。特に、閉経後の女性に多いことが特徴で、「レディ・ウィンドミル症候群」と呼ばれることもあります。これは細身の体型で、前かがみの姿勢が特徴的であることから名付けられました。しかし、男性でも加齢とともに発症率は上昇します。
非結核性抗酸菌症の症状は一般的に緩徐に進行するため、初期段階では無症状であることも少なくありません。症状が現れる場合でも、特異的なものはなく、他の呼吸器疾患と似た症状を呈することが多いため、診断が遅れることがあります。
【主な症状】
非結核性抗酸菌症の進行パターンには、主に以下の2つのタイプがあります。
非結核性抗酸菌症の進行速度は個人差が大きく、数年間病状が変化しない例から、急速に悪化する例まで様々です。特に免疫抑制状態にある患者(HIV感染者、臓器移植後の患者、生物学的製剤使用中の患者など)では、病気の進行が早くなる傾向があります。
興味深いことに、非結核性抗酸菌症の患者の中には、胃食道逆流症(GERD)や副鼻腔炎などの合併症を持つ方が多いことが報告されています。これらの疾患が非結核性抗酸菌症の発症や進行にどのように関与しているかについては、現在も研究が進行中です。
非結核性抗酸菌症の確定診断には、臨床的特徴、画像所見、細菌学的検査の3つの要素が重要です。日本結核・非結核性抗酸菌症学会の診断基準では、以下の条件を満たす場合に診断が確定します。
【診断のための検査】
【診断基準】
米国胸部疾患学会/米国感染症学会(ATS/IDSA)の診断基準では、以下の条件を満たす場合に肺非結核性抗酸菌症と診断します。
非結核性抗酸菌症の診断において重要なのは、単に菌が検出されただけでは「定着」か「感染症」かの区別ができないという点です。特に高齢者では、気道に菌が定着しているだけのケースも少なくありません。そのため、臨床症状と画像所見を総合的に評価することが不可欠です。
日本結核・非結核性抗酸菌症学会 肺非結核性抗酸菌症診療のガイドライン
非結核性抗酸菌症の治療は原因菌種によって異なりますが、最も一般的なMAC症の標準治療について詳しく解説します。
【MAC症の標準治療】
MAC症の治療には複数の抗菌薬を長期間併用することが基本となります。標準治療レジメンは以下の3剤併用療法です。
重症例や空洞病変を有する症例では、初期にアミカシン(アミノグリコシド系抗菌薬)の追加が考慮されることもあります。
【投与量と治療期間】
標準的な投与量は以下の通りです。
薬剤名 | 標準投与量 | 主な副作用 |
---|---|---|
クラリスロマイシン | 600-800mg/日、分2 | 消化器症状、QT延長、肝機能障害 |
アジスロマイシン | 250mg/日、分1 | 消化器症状、QT延長、肝機能障害 |
エタンブトール | 15-25mg/kg/日、分1 | 視神経障害(視力低下、色覚異常) |
リファンピシン | 450-600mg/日、分1 | 肝機能障害、薬物相互作用、体液オレンジ色化 |
アミカシン | 15mg/kg、週3回(初期2-3ヶ月) | 腎障害、聴覚障害 |
治療期間は、喀痰培養が陰性化してから最低12ヶ月間の継続が推奨されています。全体の治療期間は通常18〜24ヶ月以上に及びます。
【治療開始の判断】
非結核性抗酸菌症は必ずしも全ての患者で治療を開始する必要はありません。治療開始の判断は以下の要素を考慮して行います。
以下のような場合には、積極的な治療開始が考慮されます。
【治療における課題】
非結核性抗酸菌症の治療には以下のような課題があります。
これらの課題に対応するため、治療開始前に十分な説明と同意取得が重要です。また、治療中は定期的な副作用モニタリングとして、視力検査、聴力検査、血液検査(肝機能、腎機能)を実施する必要があります。
非結核性抗酸菌症の治療成功率は菌種によって異なりますが、MAC症では適切な治療を行った場合の菌陰性化率は約60-80%とされています。一方、M. abscessusによる感染症では治療成功率は30-50%程度と低く、治療に難渋することが多いです。
非結核性抗酸菌症の治療は長期にわたり、従来の治療法では十分な効果が得られないケースも少なくありません。近年、新たな治療薬や治療アプローチが開発され、治療選択肢が広がりつつあります。
【アミカシンリポソーム吸入療法(Amikacin Liposome Inhalation Suspension: ALIS)】
難治性MAC肺感染症に対する画期的な治療法として、アミカシンリポソーム吸入療法が注目されています。アミカシンをリポソームに封入することで、肺への薬剤送達を最適化し、全身への副作用を軽減しながら局所での高濃度達成を可能にした製剤です。
この治療法は2023年に日本でも承認され、既存の多剤併用療法で効果不十分な患者に新たな選択肢をもたらしています。ただし、高額な薬剤費や吸入手技の煩雑さなどの課題もあります。
【ベダキリン】
結核治療薬として開発されたベダキリン(商品名:サチュロ®)は、細菌のATP合成酵素を阻害する新しい機序の抗菌薬です。近年、一部の非結核性抗酸菌にも有効性が示されており、特にM. abscessusなどの難治性菌種に対する治療選択肢として期待されています。
【クロファジミン】
もともとハンセン病治療薬として使用されていたクロファジミンも、非結核性抗酸菌症、特にMAC症に対する効果が報告されています。マクロライド耐性菌に対しても活性を示すことから、難治例への使用が期待されています。
【テジゾリド】
オキサゾリジノン系抗菌薬の一つであるテジゾリドは、一部の非結核性抗酸菌に対して試験管内で活性を示すことが報告されています。特にM. abscessusに対する有効性が期待されています。
【その他の革新的アプローチ】
非結核性抗酸菌症の治療は日々進化しており、従来の経口多剤併用療法に加え、新規薬剤や革新的な投与方法による個別化治療の可能性が広がっています。ただし、これらの新規治療法はまだエビデンスが限られており、専門医による慎重な判断のもとで使用されるべきです。
日本呼吸器学会 - 非結核性抗酸菌症(NTM症)について
非結核性抗酸菌症の治療においては、薬物療法だけでなく、栄養状態の改善や呼吸リハビリテーションなど総合的なアプローチが重要です。また、治療完了後も定期的な経過観察を継続し、再発の早期発見に努めることが推奨されます。