ネシリチド商品名はナトレコールで日本では未発売

ネシリチドの商品名「ナトレコール(Natrecor)」をご存じですか?米国では2001年にFDA承認を受けたBNP製剤ですが、日本では一度も発売されていません。その理由と日本のカルペリチドとの違いを詳しく解説します。

ネシリチドの商品名と日本での位置づけを正しく理解する

ネシリチドは、日本国内で未発売にもかかわらず、2018年に米国でも製造中止となった薬剤です。


ネシリチド(Natrecor)3つのポイント
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商品名はナトレコール(Natrecor)

ネシリチドの商品名は「ナトレコール(Natrecor)」。米国ジョンソン・エンド・ジョンソン傘下のSciosが開発し、2001年にFDA承認を取得した組換えヒトBNP製剤。

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日本では一度も発売されていない

日本では急性心不全治療薬としてANP製剤のカルペリチド(ハンプ®)が使用されており、BNP製剤のネシリチドは国内未承認・未発売のまま。

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ASCEND-HF試験で予後改善効果は否定された

7,141例を対象とした大規模RCTで、ネシリチドは死亡率・再入院率を改善せず、むしろ低血圧の発生率が26.6%と、プラセボ群の15.3%を有意に上回ることが判明した。


ネシリチドの商品名・一般名・分類の基本情報

ネシリチド(nesiritide)の商品名は Natrecor(ナトレコール) です。これが原則です。


製造・販売はジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)傘下のSciosが担っていました。2001年8月に米国食品医薬品局(FDA)が急性非代償性うっ血性心不全の治療薬として承認し、以降しばらくは米国・カナダ市場で点滴静注薬として流通しました。


薬効分類上は「血管拡張薬」かつ「心房性ナトリウム利尿ペプチド受容体作動薬」に位置づけられます。ATCコードはC01DX19、ターゲット受容体はNPR1(ナトリウム利尿ペプチド受容体A)です。


ペプチド製剤であり、化学式はC₁₄₃H₂₄₄N₅₀O₄₂S₄、分子量は約3,464 g/mol。32個のアミノ酸からなる構造は、ヒト心室筋が分泌する内因性BNPと完全に同一の配列を持ちます。ジスルフィド結合(10番目と26番目のシステイン間)が活性の維持に不可欠です。
















項目 内容
一般名(INN) nesiritide(ネシリチド)
商品名 Natrecor(ナトレコール)
製造販売 Scios Inc.(J&Jグループ)
剤形 凍結乾燥粉末(注射用)
承認年(米国FDA) 2001年
製造中止年 2018年
日本での発売 なし(国内未承認)
ATCコード C01DX19


投与経路は静脈内のみ(IV)です。通常、体重1 kg当たり2 µgのボーラス投与後、0.01 µg/kg/分の持続点滴を行い、最大で0.03 µg/kg/分まで3時間ごとに増量可能とされていました。凍結乾燥粉末を溶解して使用する製剤で、保存・調製には注意が必要な薬剤です。


参考:ネシリチド(Nesiritide)のKEGGデータベース掲載情報(薬理分類・受容体情報など)
KEGG DRUG:ネシリチド(D05147)


ネシリチドの作用機序と心不全治療での役割

ネシリチドは組換えヒトBNP(B型ナトリウム利尿ペプチド)そのものです。これが基本です。


内因性BNPは心室壁の過伸展・圧負荷が生じたときに心室筋から分泌されるホルモンで、心臓自身が分泌するいわば「SOS信号」です。健常者ではほぼ検出されないレベルですが、急性心不全が発症すると血中濃度が急上昇し、血管拡張・利尿・RAA系抑制によって代償しようとします。


ネシリチドはその内因性BNPを外から補充するというコンセプトの薬剤です。具体的には、NPR1(ナトリウム利尿ペプチド受容体A)に結合し、膜結合型グアニル酸シクラーゼを活性化。細胞内セカンドメッセンジャーであるcGMP(環状グアノシン一リン酸)の産生を増加させ、血管平滑筋を弛緩させることで血管拡張と前負荷・後負荷の軽減を実現します。



  • 動脈・静脈の両方を拡張し、前負荷と後負荷を同時に低下させる

  • ナトリウム利尿・利尿作用により体液貯留を改善する

  • RAA系(レニン-アンジオテンシン-アルドステロン系)と交感神経系を抑制する

  • ✅ 心拍出量を増加させ、肺動脈楔入圧(PCWP)を低下させる


これらの作用は、肺うっ血や末梢浮腫を来した急性非代償性心不全の患者に対して、呼吸困難を速やかに緩和する目的で使用されていました。初期の臨床試験では、ニトログリセリンと比較してより迅速な血行動態改善が得られるとされていたため、2001年のFDA承認後、米国では急速に普及しました。


意外な点として、ネシリチドはANP(心房性ナトリウム利尿ペプチド)と同じNPR1受容体を共有しています。つまり薬理的な標的は日本のカルペリチド(ハンプ®、ANP製剤)と同一です。しかし両者は全く異なるペプチドであり、心不全患者における血中半減期もBNPの方がANPより長いという特性の違いがあります。


参考:NAトリウム利尿ペプチドのARNIとの関連を含む総説(J-Stage)


ネシリチドが日本で未発売のまま終わった背景

日本で未発売のまま終わった理由は、複数の安全性シグナルと大規模試験の結果にあります。


2001年のFDA承認後、ネシリチドは米国で急速に普及しました。しかし2005年、Jonathan Sackner-Bernstein氏らがCIRCULATION誌とJAMA誌に相次いで発表した論文が、状況を一変させます。小規模試験のプール解析で、ネシリチド投与群ではプラセボと比較して腎機能悪化が約1.5倍、早期死亡リスクが約1.8倍に上るという衝撃的な結果が示されたのです。


この報告を受け、クリーブランドクリニックの心臓専門医が全会一致でネシリチドの院内使用を禁止するという異例の事態が発生。FDA・J&Jは添付文書の改訂と大規模臨床試験の実施を余儀なくされました。


つまり「安全性の懸念」が決定的に市場を縮小させたということですね。


その後7,141例を登録したASCEND-HF試験(2007〜2010年)の結果が2011年のNEJM誌に掲載されましたが、ネシリチドは死亡率(3.6% vs. 4.0%)・30日再入院率(9.4% vs. 10.1%)ともにプラセボと有意差なし。呼吸困難の改善も統計的有意差の事前規定基準(両評価でP≤0.005)に届かない小さな改善にとどまりました。


一方で低血圧の発生率はネシリチド群26.6%に対しプラセボ群15.3%と、約11ポイントも高く、有意差あり(P<0.001)。「有意な利益なし、有意な害あり」という結果は市場撤退の流れを決定づけました。














エンドポイント ネシリチド群 プラセボ群 有意差
30日死亡率 3.6% 4.0% なし
心不全再入院+死亡(複合) 9.4% 10.1% なし
腎機能悪化率 31.4% 29.5% なし
低血圧発生率 26.6% 15.3% あり(P<0.001)


さらに2011年には製造元のSciosがNatrecorの不正なオフラベル販売(慢性心不全患者への外来定期投与)を認めて司法省と司法取引を締結。こうした経緯が重なり、Janssenは2018年にNatrecorの製造を正式に中止しました。


日本ではそもそも承認申請が行われなかった背景として、国内では同じ受容体を標的とするカルペリチド(ハンプ®)がすでに1995年に承認済みであり、BNP製剤が入り込む余地が市場的にも規制的にも限られていたことが挙げられます。


参考:ASCEND-HF試験の解説(CareNet)
CareNet:急性心不全へのnesiritideの有効性と安全性(ASCEND-HF試験)


ネシリチドとカルペリチド(ハンプ®)の違い:日本の医療現場で知るべきこと

日本の急性心不全治療において、ネシリチドと同じ受容体を標的にする薬剤がカルペリチド(商品名:ハンプ®)です。


カルペリチドとネシリチドは「同じNPR1を標的とするナトリウム利尿ペプチド製剤」というカテゴリは共通しながら、ペプチド自体のアミノ酸配列が異なります。カルペリチドはANP(心房性ナトリウム利尿ペプチド)の組換え製剤であり、28アミノ酸で構成されます。ネシリチドはBNP(B型ナトリウム利尿ペプチド)の組換え製剤で、32アミノ酸です。



  • 🇯🇵 カルペリチド(ハンプ®):ANP製剤、日本発・日本のみで広く使用、1995年承認、現行使用中

  • 🇺🇸 ネシリチド(ナトレコール):BNP製剤、米国発・米国で主に使用、2001年承認、2018年製造中止


特に注意が必要な点として、日本の急性心不全診療ガイドライン(2017年改訂版)ではカルペリチドは推奨クラスⅡa(エビデンスレベルB)にとどまっており、予後改善効果が「確立されていない」と明記されています。


これは使えそうな情報ですね。


ナース専科の解説でも触れられているように、「カルペリチドは日本だけで使われており、ほかの国では同種薬のネシリチドが使われていた」という事実は、日本の心不全治療薬選択の独自性を示す重要な背景です。海外ガイドライン(ESC2021、AHA/ACC2022)ではナトリウム利尿ペプチド製剤(ANP/BNPいずれも)への言及自体がほとんどなく、欧米での標準治療からは外れた薬剤となっています。


臨床現場での具体的な違いとして、ATTEND registry(日本多施設レジストリ)のデータではADHF(急性代償不全心不全)患者の約70%にカルペリチドが使用されていることが示されており、日本の急性心不全治療においていかにカルペリチドが慣習的に使われているかがわかります。


参考:急性心不全薬の使い分けに関する解説(ナース専科)
ナース専科:心不全薬の使い分け(カルペリチドとネシリチドの違いも解説)


ネシリチドをめぐる論争:マーケティング問題と医薬品評価の教訓

ネシリチドの歴史は、製薬企業のマーケティングと臨床エビデンスのギャップを象徴する事例として注目されています。


FDA承認後、製造元のSciosは急性心不全だけでなく、承認外用途である「慢性心不全患者への定期的な外来点滴投与(いわゆる外来輸液療法)」を積極的に推進するマーケティングを展開しました。当時、慢性心不全患者が外来で定期的にNatrecorを投与するという使い方が米国で広まり、売上は急拡大しました。


しかし2005年の安全性懸念論文の公表後、この慣行は強く問い直されます。2011年、Sciosは「Natrecorの添付文書上の適応外使用(慢性心不全への外来点滴)を意図的に販売促進した」として司法省と合意書を締結。有罪を認め、制裁を受けました。


この経緯から医療従事者が学べる教訓があります。



  • ⚠️ FDA承認はあくまで「一定条件下での有効性・安全性の証明」であり、「あらゆる使用法での安全性保証」ではない

  • ⚠️ 承認時に行われた臨床試験は規模が小さく、その後の大規模RCTで覆されることがある

  • ⚠️ 血行動態改善という代用エンドポイントの改善が、必ずしも臨床的予後改善につながるわけではない

  • ⚠️ オフラベル使用には常に根拠を問い直す姿勢が必要である


ネシリチドの末路は「日本の失われた10年」に例えられることすらあります。米国では2001年に承認を受け多数の患者に使用されながら、大規模試験での有効性証明に17年間(2001〜2018年の製造中止まで)を費やした薬剤として記録されています。


厳しいところですね。血行動態の数値が改善しても、患者が退院できるか、再入院しないか、生存できるか、という「真のエンドポイント」で差が出なければ、臨床的意義は問われます。これはネシリチドに限らず、急性心不全治療薬全般に共通する課題です。


現在、急性心不全の治療パラダイムはSGLT2阻害薬(エンパグリフロジンなど)の急性期への応用やVERCIGUAT(リオシグアト)などの新たなアプローチへと移行しつつあります。ネシリチドの教訓は、今後の新規薬剤評価においても有効な参照点として機能しています。


参考:ネシリチドの販売停止に関するASHP Drug Shortage情報
ASHP Drug Shortage Detail:Nesiritide Injection(Natrecor製造中止)